中世・鎌倉幕府による福生の開発の様子を語る遺跡として、熊川地域には「長者屋敷」(昭島市松原町5-4付近)に引水したという長者堀の伝承が残ります。旧家に伝わる「神光仏言夢物語」と題する書物には、「昔、武蔵野に仁智年中に大野長者という福人があり、屋敷の回りに堀をほり、さる坂より堀をほり、多摩川を引き込む」とあります。他の文献にも旧跡が長者ケ跡が村(拝島)の西北の水田の中にあり、「往古、何人のここに居住せしにや、その由来を詳にせず」と記されています。そして長者屋敷跡とみられる遺構からは、開元通宝や永楽通宝という銭貨が多数出土しています。
隣接する拝島の古刹・大日堂(密嚴浄土寺)の縁起にも、戦国時代、石川土佐守が大日堂を建立した際、後世の補修費用にと本堂の地下に永楽銭一千貫を埋蔵したという伝承が残されており、距離的にも近く、また埋蔵したのが永楽通宝という点で長者屋敷の出土銭同様、注目される埋蔵銭伝承です。
長者堀は、多摩川を望む崖端の旧片倉自転車工場付近から奥多摩街道を横断、地蔵堂、第二小学校、聖愛幼稚園を通り、国道16号を横断、昭島市の長者屋敷へ向かっていた水路。昭和55年(1980)の発掘調査によって幅約2.1mの中規模の堀割であったことが確認されています。