明治6年(1873)、熊川村に東京府では初となる「森田製糸所」が森田浪吉によって創業されました。同13年の拡張を経て、この地方では先端を行く120人取りの器械製糸所となります。
明治23年1月の熊川分水の完成後、村民一同が規定をつくり分水を共有しました。分水路には6箇所の水車場が設けられましたが、うち1箇所は森田製糸所の永世所有となりました。
小規模座繰製糸業者が、輸出向け生糸売込問屋の買い叩き等に対抗するための組合組織として、森田浪吉らが設立発起人となって明治27年に「改良座繰玉川社合同組合」が設立され、明治33年には浪吉の養子・二代目退蔵らによって器械製糸の同業組合「玉川上水社」が設立されました。多摩川沿岸の製糸業の発展は、400人取、生糸年産27トンの森田工場が模範となるところが多く、また創業者浪吉は熊川村戸長、福生村熊川村組合村助役と歴任し、分水路開削によって水車・飲用・製糸用に給水を実現した功績は高く評価されました。
その後森田製糸所は、第一次大戦時の好景気で盛況を呈したものの、大正9年以降の生糸繭価の暴落、大震災、金融恐慌、世界恐慌等によって養蚕農家・製糸家も大打撃を受け、福生地区でも多くの製糸所は閉鎖され、森田製糸所も無期限閉鎖、後に買収されました。