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いつからか、早朝の多摩川べりを犬と一緒に散歩するのが、私にとって唯一の愉しみになった。私の家は多摩川水系に近い尾山台にあり、等々力不動や、その裏の渓谷沿いの小径、また逆に、田園調布から東横線の丸子の鉄橋の傍まで足をのばしても、せいぜい一時間余りで行って来れる距離である。いまや、ここも完全に都市化しているわけだが、散歩の道筋には古い寺だの、昔の農家や宿場の茶店かと思われる家だのが、ところどころに残つており、意外に野趣にとんだ風景に接することもできる。
国木田独歩は、『武蔵野』の中で、武蔵野のおもかげを伝える代表として多摩川をあげ こんなことを述べている。
……僕は曽て斯ういふことが有る。実弟をつれて多摩川の方へ遠足したときに、一、二里行き、また半里行きて家並が有り、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる。此変化のあるので処々に生活を点綴して居る趣味の面白いことを感じて話したことがあった。‥…この文章が書かれたのは明治31年、当時、独歩も渋谷に住んでいたから、おそらく彼は後の玉川線(国道246号線)沿いの農道を通って多摩川まで歩いたものであろう。無論、いまから90年も前のその頃と現在とでは、あらゆる意味で様相がまったく変っている。ただし、多摩川流域、とくに河川敷の内側に限っていえは、いまも国木田独歩の頃と大差ない風景が昔のまま続いている。
山林に自由存す実際、関東平野とくに東京近郊のそれは、敗戦直後の40年前の頃と憶い較べても、想像もつかぬほどの変貌振りだ。それは日本の驚異的な経済発展の激しさを、そのまま示しているにちがいない。しかしおかげで、私たちは山林を失い、自由を失った。明治のロマンチシズムの詩人の言葉を借りるまでもなく、自然が揖なわれれは、私たちの精神の“自由”も損なわれるのである。現在、私たちの住んでいる土地で武蔵野の自然が確実に残されているのは、わずかに多摩の河原と川面だけであろう。
われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ
鳴呼山林自由存す
いかなればわれ山林をみすてし