2.1 公営工業用水道事業の始まり
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第2節 公営工業用水道の布設

2.1 公営工業用水道事業の始まり

2.1.1 大工場の進出

 明治の初めの川崎は,西部の中野島や菅付近で多摩川の豊富な清流を利用した製紙業,河口に近い川崎町を中心にした麻真田製造業が盛んだったが,他には零細な紡績業,食料品加工業がわずかにあるだけで,近代工業と直接に結び付くものはなかった.川崎の名は東海道の宿場町,大師の門前町として売れているだけだった.

 大消費都市東京と貿易港横浜との間にはさまれた川崎は,地の利や多摩川の水運に恵まれていたが,工業都市としての芽生えは,日露戦争〔1904年(明治37)〜1905年(明治38)〕後に操業を始めた横浜製糖(後の明治製糖),東京電気(現在の東芝),日本鋼管など大工場の建設であった.その後,埋立も進み第1次世界大戦による好況の波が押し寄せ,1914年(大正3)富士瓦斯紡績,1917年(大正6)浅野セメント,味の素,1923年(大正12)富士電機,1925年(大正14)明治製菓などの大工場が相次いで進出してきた(参17).



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