2.1 公営工業用水道事業の始まり
前のページに戻る 次のページを見る 目次に戻る 表紙に戻る

2.1.2 工業招致は川崎100年の町是

 1912年(明治45)川崎町議会で「工業招致を川崎100年の町是とする」決議がなされ,川崎は名実ともに工業都市として発展していく体制が築かれた.川崎は,多摩川に沿い東京湾に面して立地条件に恵まれていたが,工業用水として使用する水は,近くからの海水や井戸を掘って地下水に頼る以外にはなかった.多くの工場が同時に地下水をとる結果,地盤の沈下をきたしたり,水位の低下で取水ができなくなる井戸が多くなり,生産活動に支障が出るようになった.

 特に多量の工業用水を必要とした日本鋼管,昭和肥料,東京湾埋立の3社は,このような事態を回避するため,他に水源を求めようと調査を始めた.多摩川の伏流水や相模川の表流水が考えられたが,水質や水量などの点で確実性がなかった.そこで応急策として,中原地区,日吉地区の井戸に水源を求めることになった.計画では,15個所の井戸から1井当たり1日3,600m3とした.しかしながら,上記3社は,異なる性格をもつ私企業であり,水源問題,将来の水需要などを考えると,工業用水道事業は,市で管理運営するほうがよいとの結論になった.これは,工業立市を目指す川崎市の目的と一致し,工都川崎の発展施策上,緊急に必要なことだとして,市の意思も確定した(参18).ここにわが国最初の公営工業用水道の建設方針が決定した.1936年(昭和11)11月のことだった.

 工業用水道事業は,組合営のものでは1934年(昭和9)に発足していた,信濃川の表流水を水源とする「新潟工業用水組合」があったが,公営工業用水道の創設は,初めてのケースだったため,内務省,大蔵省では認可申請の取扱いについては苦心をした.結果として,新潟工業用水組合の例を参考に一般土木工事の扱いとされた.1936年(昭和11)12月から始めた創設工事は,途中,日華事変のため遅れたが,1925年(昭和14)7月には全施設の完成をみた.



前のページに戻る 次のページを見る 目次に戻る 表紙に戻る 文頭に帰る
2.1 公営工業用水道事業の始まり