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多摩川水系で行われた網漁法は,有史以前にさかのぼる.網の材料が植物繊維のため,現物は残されていないが,多摩川流域の各所に出土する石錘や土錘の出土状況からして,既に縄文時代の多摩川では,網を使った漁法が行われていたことがわかる.
伝統漁法の中で,網を用いた漁法はさまざまで,水中の魚をすくう網,追い寄せる網,魚の行動を遮断する網,魚体をからめとる網など,すこぶる変化に富んでいる.
(1) 投網
円形の綱の中心に手縄があり,周囲に鉛や鉄の錘を取り付けた投げ網で,多摩川の全水域にわたって古くから行われた漁法である.対象魚によって,鮎投網,鯉投網,雑魚投網などに分けられ,それによって,網目や材質,錘の形や投網の大きさなどが異なるものが使用され,現在でも多摩川で行われている.(写真5.2.17 マルタ、鯉用の投網)
投網は魚の取込みを確実にするために,錘のところに袋があるものが多いが,鯉やマルタなどのような大形魚を捕らえる投網には,袋のないものが多い.
魚がいそうな場所に,網を拡げ,その中に捕らえた魚を引き上げる投網漁は,舟からと徒歩による方法が行われ,単独あるいは数人で川を移動しながら打っていく.鮎は投網にかかると,川底の石の傍らに身を伏せて逃げる機会をうかがい,網を引き寄せると石と網のすき間を伝わって,素早い動作で逃げてしまう.そのため,投網に鮎が入ると,箱めがねで網の中の鮎を確認し,川底の鮎をヤスで突き刺して弱らせてから綱を引き上げる.また,ハヤやフナは鮎と違って袋の中に入り込むので,網を静かに寄せて引き上げる.昔,多摩川の上流では,ヤマメを投網で捕り,その多くは夜間に行われた.ヤマメのように眼の良い渓流魚に投網を使うには,視力の利かない暗がりを利用して行われた.投網漁は多摩川で盛んに行われた漁法であった.
投網は絹糸や木綿糸,麻糸を編み,それに柿渋を施して使用したが,現在ではナイロンの普及によって,ほとんどがナイロン投網になっている.昔は原糸を求めてきて,一目一目網針で編むという大変な手間をかけて作った.また,投網に使う錘ほほとんど自分で作ったものである.砥石を錘の型に彫って鋳型を作り,鉛を溶かして一つ一つ作り,蛭型錘やナツメ型,グミ型など,投網の用途に応じた錘が使われた.
(2) 寄せ網
大勢の寄せ手が川幅いっぱいに網を張って,水中の魚を追い寄せて捕る漁法で,夏期,多摩川の中流域で行われた古い漁法として知られている.寄せ網漁は数十人の人手を必要とし,多摩川の漁法の中でも大がかりなもので,跳ね網漁などと同様に,集落の人たちによる共同作業で行われた.(写真5.2.18 寄せ網漁)
まず流れの中に網を持った寄せ手が川を横断して網で仕切り,下流に向かって魚を追い寄せる.網は比較的目の粗い,木綿製のシラタ網が使われる.白い糸で編んだシラク網は,水中でもくっきりと目立って,魚たちにとって十分迫寄せ効果を発揮する.こうして下流の岸にあらかじめ設置された仕切り網の所に追い込み,さらに下流から上流に向かって寄せ,捕採部に追い込んで目の細かい網で魚を取る.
魚の追寄せに使われるシラタ網は高さが1.5mほどで,長さは10m以上もあり,川を仕切るときは,数反をつなぎ合わせて魚を寄せることがあり,網の底には錘が付き,上部には木製の浮子が付いている.
寄せ網漁は,多摩川中流域の農家の人たちが集まって漁りするレクリエーションを兼ねた共同作業で,農村集落社会にふさわしい特徴をもった漁法であった.漁
作業はリーダーの指導の下に全員が組織的に動き,取れた魚は参加者全員に公平に分配された.
(3) 跳ね網
夏から初秋にかけて,多摩川の中・上流水域で行われた漁法で,多勢の人が川の中に入って流れの中の鮎をおどしながら流れを下り,水面に跳ねる鮎を用意の大綱に受け込むという,大変に悠長な漁法である.
川幅いっぱいの長さの麻縄に,水中の鮎が恐れるような植物の枝葉を40〜50cmの間隔に取り付け,おどし縄が浮かないように所々に重り石を結び付ける.そうした縄を持った何人もの追い手が川を縦断し,下流に向かっていっせいに鮎を追い込んでいく.その追い手に数人の網持ちが密着しながら同時に川を下っていく.(写真5.2.19 跳ね網漁)
上のほうから突然に現れた異様に光る物が追ってくるので,水中の鮎は錯乱し,なおも下流へ追いやられようとするので,混乱のあまり鮎は川上に走るが,おどし具を恐れた鮎は,やにわに水面の上を跳ね上がる.かくして跳ねた鮎は用意の網に捕らえられてしまう.跳ね網漁に使う網は長大なもので,長さが6m,幅が1.5mもあり,叉手状の枠は真竹の太いものが用いられた.
鮎をおどすために用いる植物は,水中に入れると微細な気泡ができ,それが光の屈折作用で光って見えるようなものが選ばれる.多摩地方でウラジロと呼ばれる木の葉は水中でよく光り,おどし効果も大変優れているので跳ね網漁によく使われるが,ウラジロの他にヨモギやヨシの葉も用いられた.
多摩川流域がまだ田園地帯であったころ,跳ね網漁がよく行われた.部落の有志たちが語らって漁の相談がまとまり,多勢の人数が集められる.跳ね網漁には少なくとも十数人の人手が必要で,村や集落の共同体がまだ健全であり,川に魚が豊かであった昭和の初めごろまでは行われていた.取れた魚を等しく分け合い,協業の連帯の中で行われる跳ね網漁は,寄せ網漁などと同様に,かつての流域集落の人たちによって行われた,実利を兼ねての健全なレクリエーションであった.
(4) 瀬付き
春,産卵のために浅瀬に集まるウグイを投網で捕らえる漁法で,ツキデまたはクキ漁ともいう.多摩川のウグイは3月下旬から4月末ごろが産卵期で,3月の初めごろからウグイの産卵のための人工的な産床を作り,抱卵した魚が産床におびき寄せられて集まったところを一網打尽にする.
産床作りがうまくできていないと,ウグイの寄り付きが悪く漁にならない.川漁師たちは水の流れ具合を加減し,川床の砂礫をふるいで選り分けて粒揃えをして,ウグイの寄り付くのを待つのである.
やがて,ウグイの群れが真黒になるほど瀬について,魚たちは人工の産床に夢中で産卵を始める,そのとき,待ちかまえていて投網を打って取るが,豊漁のときなどは,投網を打つとほどなくしてウグイの群れが再び集まってきて,次々と漁になるので,瀬付き漁の最盛期になると,川漁師たちは付き場の近くの河原に小屋がけをしながら,昼も夜も漁に専念した.
(5) 鱒の跳ね網
江戸時代,多摩川上流の魚留(なる)滝という高さ2間半の滝で行われた漁法で(参4),5月ごろ下流から上った鱒や鮎はここで行き止まりとなるが,魚は滝を上ろうとしきりに跳躍する.
魚止めのために魚は上ることができず,力つきて元の滝壷に落ちるが,この滝を登ろうとして跳ね上がるのを待って,用意の叉手網ですくい取る.
現在,魚留滝は砂礫に埋もれて,昔日の面影は見られないが,今から230年前にはこうした悠長な漁法も多摩川では行われていた.
(6) 待ち網
待ち網漁はすくい網漁の一種であるが,網を持ったまま魚の入るのを待つという,大変に受動的な漁法であり,すくい網は叉手状のもの,もしくは半円形のものを用いる.(写真5.2.20 待ち網)
多摩川流域で台風などの襲来によって川が増水したとき,川岸で網を持って流心から川岸に寄ってくる魚をすくい取るが,出水に際しての出漁であるため,川水にのみ込まれる恐れもあり,危険な漁法であった.
川が増水すると,水中の食たちは本能的に流心を避けて川岸に身を寄せるようになるが,待ち網はこうした魚族をねらっての漁法である.いくら増水にもまれた魚でも,網の中に入った瞬間に身をひるがえして逃げてしまうが,待ち網漁は魚が逃げる前に素早く網を引き上げないと,獲物を取り逃がしてしまい漁にならない.
そうした手練の早業を必要とする,また危険な漁法であったが,予想外の大漁に恵まれることもあった.多摩川流域では大雨が降ると,頃合いを見計らって,蓑笠や合羽に身を固めた人たちが,川岸に両足をふんばって待ち網漁をするのが見られた.
フナ,コイ,ウグイ,ウナギなど,出水にあおられて川岸に寄ってくる魚は,何でも網で捕りまくった.
(7) 撫で網
多摩川が増水すると,川岸から網で上から下に向かってすくい取る漁法で,多摩川の各所で行われた.
網を流れに入れて撫でるようにすくいあげることからこの名が付けられたので,所によっては撫で網が変称してナザ網ともいわれた.また,多摩川上流ではすくい網と呼ばれる同様の方法が,増水時に行われている.(写真5.2.21 多摩川砧地先水域で使われた叉手網)
この漁法で岸辺に寄ったアユ,コイ,フナ,ウグイ,ナマズ,ウナギ,また多摩川の上流ではヤマメなど,色々な魚を取ることができた.
撫で網は叉手網の一種で,折りたたみ式の簡易なすくい網で,使い手の体力に応じて,大小の大きさがあった.
(8) 鵜縄
鵜や烏などの黒い羽を付けた追寄せ具を使って,水中の魚を下流に仕掛けた叉手綱の中に追い込んで捕らえる漁法で,多摩川の中流域で行われた.魚の捕採に用いる叉手網は体力に応じて大小があり,主として夏から初秋にかけて鮎を取るために行った.
追寄せ具は,竹竿の先に羽を取り付けるか,または一本の縄に間隔をおいて,羽を取り付けたものが使われたが,鵜の黒い羽は,特に鮎などに対しての追寄せ効果が著しく,鵜の羽が得られないときは烏の羽で代用した.だが,それもないときは,応急に黒い布切れを数枚束ねて使うこともあったが,黒い布切れは,鵜の羽などに比べて追寄せの効果が劣る.
鵜縄は,鮎などの魚が,鵜の黒い羽に対して持つ本能的な恐怖心を利用したもので,優れた追寄せ効果を発挿した.
(9) 張り網
冬期,多摩川の中流で行われた刺網漁法の一種で,寒中でも川の魚は居付き場と餌場の間を決まって移動するために,その間を刺網で仕切っておき,移動した魚を網にかける.
日中,日当たりの良い深場に居付いている魚は,夜間,浅場に出て餌をとる習性があり,この往復場所に刺網を仕掛ける.寒の水は冷たく,早朝の魚の取り上げに手が冷えきり,川原に上げた刺網はすぐ凍りついてしまう.大変につらい漁法であったが,一般の人たちが漁
に出ない時節に,一部の川漁師たちが行っていた漁法で,これでウグイやオイカワを取った.
(10) 巻き網
冬期,川の水も減り魚たちは南側の日当たりの良い場所に集まってくる.おもに沈床わきの深場などは,魚たちにとって格好の居付き場所で,そうした所を見定めて,外側から網目の違う刺網を三重に張って取り囲む.
それから,魚群めがけて石などで驚かすと行き場を失った魚が刺網にかかるので,多いときは一場所で20kgもの漁獲があった.使用する刺網の網目は3分,4分,それと5分の3種類の網を使った.
(11) 巻き取り
魚を取るために刺網を使うが,増水などで川水が濁ると,魚は湧水のある川底に集まってくる.そうした場所を刺網で取り囲み,その中心部に石を投げて魚をおどし,驚いて逃げる魚たちが刺網にかかり,捕らえられる.
さきの巻き網と原理的に共通しているが,巻網は冬期に行われ,巻取りは増水時に行われたおどし刺網である.
(12) 鱒網
鱒を捕らえるために用いられた一種の刺網漁法で,多摩川の瀬と淵との間に長さ10m,幅1.2〜1.3mの網を流しておいて,夜間に鱒が網にかかるのを捕らえた(参5).網の目は1寸3分ほどで,川を上ろうとする鱒の口吻に網目が入り,網糸が歯にからみついて逃げられなくなったのを捕らえた,
(13) カマツカ網
カマツカを捕るための刺網で,漁法は張り網と同じ方法だが,張り網よりも網目の大きな5〜6分目の刺網を用い,年中行われた.
カマツカは多摩川ではコト,あるいはコトブシとも呼ばれ,水のきれいな流れの底にいた魚であったが,水質汚濁に伴って,いち早く姿を消した魚の一つである.カマツカ網漁法は昭和の初期になって,九州から伝えられた漁法といわれる.
(14) 置き網
多摩川の増水時に仕掛ける建干刺網で,本流の水位が上がった所の川のえぐれや,小さな枝流にも川水が回り,魚はそうした場所に集まってくる.
そうした場所に,本流との間を仕切って刺網を張り,水が引いたころを見計らって網を上げると,ウグイやオイカワなどの雑魚が取れた.川の地形に左右される漁法であるが,昔は多摩川中流で行われた.
(15) 四つ手綱
主として多摩川の下流域で行われた漁法で,舟あるいは川岸から正方形の網を水中に下ろして,その中に魚が入るのを見計らって網を上げすくい取る漁法である.(写真5.2.22 多摩川丸子堰下の四つ手網漁)
大型の四つ手網を操るのに支柱を立て,上下する丸太や竹竿の先に滑車を組み込み,こうした仕掛けを用いて白魚やマルタウグイ,フナ,コイ,ボラなどを取った.白魚漁の網は目が細かく,その他の魚を取る網はより目の粗いものを使用した.
(16) 白魚地曳き網
12月から4月ごろにかけて,多摩川下流部の丸子堰辺りまで白魚が上ってくる.昭和27年までこの水域で白魚を取るために行われた漁法で,河口から潮が上るころを見計らって操業した.
川岸に白魚網を満載した手漕ぎ舟を,上流に向かって大きく弧を描くように漕ぎ出し,上流の白魚の群れを包囲しながら次々と網を下ろしていく.網は長さ100m以上,幅は3〜3.6m,網目は3mmの地曳き網を用い,操業に7,8人の人手を要した.
水域を網で半円状に取り囲み,人力で引き寄せて網を徐々にしぼり,中の白魚を取り上げる.地曳き網に使う網は麻製で,柿渋を十分に塗った.網の底部には陶製の錘が付いていて,上部には桐製の浮子を等間隔に取り付けたものを用いた.
白魚漁は水揚げの変化が激しい漁
であったが,多いときには1日の操業で20貫以上の白魚を取ったこともあった.
(17) ペラ網
大正末期,九州地方から多摩川水系に移入された漁法で,別名朝鮮網とも呼ばれる.韓国発祥の漁法が,朝鮮半島から九州を経て,西日本を飛び越して,直接多摩川に伝えられたという,技法の伝播の上からも大変に興味深い漁法である.(写真5.2.23 ペラで水中の魚を追い寄せる)
この漁法による魚の追い寄せは,大変に特徴的である.まず,ペラと呼ばれる「へ」の字状に曲げた細長い板,丈夫な棕梠縄に50cm間隔に取り付けた追寄せ具で流れを引くと,一線に並んだべラの先が水を切りながら進む.突然に襲来した水音と影に水中の魚たちが追われ,ついに寄せられて用意した網に取り込まれる.
従来の漁法に比べて,比較的広い水域の追寄せができ,条件次第では大変漁果の上がる漁法であったが,川の水が澄んでいる場合にのみ行われた.
ペラ網漁は,おもに多摩川中流域の川漁師が専門にしていた漁法で,操業は網持ちと追い手の2人で行い,素早く魚を追い寄せながら広い水域を移動するので,漁果にも恵まれたが,大変に体力を要する漁法であった.
(18) ブッタイ
網ではないが,竹を簀状に編み,一方を合わせた三角形の漁具を用いて水中の魚などをすくう漁法で,多摩川本流よりも,それに注ぐ支流や,農業用水路などで使われることが多かった.(写真5.2.24 多摩川全域にわたって使われたブッタイ) (写真5.2.25 細流でブッタイを使って魚を取る筆者)
まだ機械編みの網が普及する前は,すくう漁具といえば,一般にはブッタイが使用されていた.そのころ,手作りの網を持っているのは一部の人に限られていたが,ブッタイは籠屋や荒物屋で売られていて,入手の容易な漁具であった.
このすくい用具で,小川の小ブナやタナゴ,川エビなどが面白いほど取れたし,比較的安価な漁具であったこともあり,当時の大人も子供もブッタイで,魚をすくった.
(19) 川エビすくい
秋から年末ごろにかけて川エビをすくう漁法で,多摩川支流の浅川で行われた.金網製の丸いすくい網を使い,川ゼリが生えているような流れには川エビがたくさんいるので,それを上流から下流に向かってすくい取った.
たくさん取れたときは,4時間ほどすくって3升も取ったことがあり,砂糖醤油で煮付けて佃煮にした.川エビは煮ると量が倍位に増え,大変にうまいものであった.
(20) ずりぶち
秋,川を下る抱卵した鮎は,上り鮎と違って大変に驚きやすく,腹の卵を大事にする.些細な障害物にも,迂回して通るほど神経質になっている,
そうした鮎の性質を利用して,流れに沿って3〜4尺おきにくいを打ち,これに葉の付いた真竹を掛けて人工の障害物を作っておき,これを避けた下り鮎を用水路に誘導する.
その水路にも葉付きの真竹を伏せて,これを迂回して岸に集まった鮎を投網で捕らえる漁法で,多摩川中流域の用水路で行われた(参6).この漁法は,別名堰止め網とも呼ばれた(参7).
(21) 掬い網
半円形に曲げた木の枝枠に網を取り付けた掬い網は,全国のどこにでも見られる川漁用の漁具であるが,多摩川水系でも上流から下流まで,ブッタイと同様に広く使われた.
足や追い棒で魚を網に追い込み,中に入った魚を引き上げて取るもので,手軽で,何でもすくい取ることのできる漁具として使われた.今日では昔の木の枝枠が塩ビ管に変わり,合成繊維の網を張った雑魚掬い網を見かけることができる.