2.2 砂利の本格的利用
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2.2.2 セメントの発達と砂利需要の増大

 鉄道線路用に次いで砂利の大量利用の契機となったのが,セメント工業の発達である.わが国のセメント製造は,1873年(明治6)に東京深川に官営の「摂綿篤(せめんと)製造所」が設立されたのを嚆矢とする.民間では1881年(明治14)に「小野田セメント」が,翌年には「東洋セメント製造所」が創業した.1884年に前記官営工場が浅野総一郎に払い下げられ,「浅野セメント」(後の「日本セメント」)として再出発した.東京における砂利の需要は,このころから増大した.当時のセメントは官庁の建築や,造船所,鉄道,鉱山の建設に用いられ,1886年(明治19)以後は企業の設立が相次ぎ,民営鉄道,工場の創業が増えてセメントの需要も増大した.当時わが国は木造建築が主体であり,他はれんが造りか石造りであった.そのためコンクリートは建物の基礎用に用いられる程度であったが,セメントの生産増はコンクリート建築を各地に出現させることとなった.それとともに砂利の需要も,急速に高まったのである.

 1884年(明治17)には横浜東海鎮守府が横須賀に移転したが,このとき多摩川の砂利が使われたという.また1889年(明治22)の横須賀港築港工事では,多摩川の砂利が大量に採掘された(参9).さらに東京では,1889年の市区改正条例によりそれ以降改正事業が行われ,道路の修築が盛んに行われた.その後鉄道・軌道の建設,電信・電話の普及,欧風建築物の流行によって,砂利の需要はますます増大していった.明治神宮外苑の竣工に当たっては,多摩川の砂利だけでは足りなくなり,相模川からも運んだといわれる.このことは,砂利需要の増加に対して,それを供給する側が採取能力,採取技術などの面で,かなり劣っていたことを示しているといえよう.



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2.2 砂利の本格的利用