1.2 地域にみる信仰の相違
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1.2 3地域にみる信仰の相違

1.2.1 多摩地方の神社

 西多摩・南多摩・北多摩のいわゆる三多摩地方についての民間信仰については,概論的ではあるが『東京百年史』(参3)『関東の民間信仰』(参4)『東京都の民俗』(参5)『日本の民俗・東京』(参6)などに紹介されており,その大要を知ることができる.そのなかで『東京百年史』には三多摩地方に祀られている神社とその所有関係を表化したものが掲載されており,それが表7.1.1である.この表によっても各種神社が多数祀られていることがわかるとともに,それら神社の大半が地域外から勧請された神々であること,なかでも稲荷社を祀る例が最も多く,神明社・八幡社・山王権現・熊野権現などが他を圧倒して多いことが示されている.

 これら稲荷・八幡・山王・熊野など,多摩地方で非常に多く祀られる神々は,濃淡の差があるにしても,いずれも全国的に分布しているもので,信仰の布教者あるいは媒介者たる御師・先達などの宗教者の活躍,各地に分布する杜領や荘園,あるいは有力檀那の存在などによって普及したものである.例えば,八幡信仰の場合,九州の宇佐八幡宮に起因し託宜をよくする神として,また最も古い時期に仏教を習合した信仰の1つとして知られているが,八幡神を応神天皇とする説が有力となり,皇室の祖神として石清水八幡社が建立され,さらには源氏の氏神として鶴岡八幡宮が成立している.こうした歴史を有する八幡信仰が多摩地方に流布するにおいて,八幡神が内包する性格はもちろんのこと,鎌倉の鶴岡八幡宮の存在が大きかったものと考えられる.

 また数多い神社の1つである熊野権現は,周知のとおり紀伊国熊野三山に祀られる神であるが,古代末期から中世にかけて熊野三山・大峯山が修験道の根本道場となるに及んで,全国に普及していったものであり,熊野の御師や先達,修験者の力によるところが大きい.関東地方でも,下総国匝嵯荘・上総国畔蒜荘などの熊野神社領が置かれていたことから,こうした社領を拠点として古くから信仰が広まっていたこともうかがい知られるが,近世期の修験道本山派のなかで,古い由緒を持つ有力修験が関東地方に多数存在していたことでも明らかなように,御師・先達をはじめとする宗教者の布教によるところが大きいといえよう.これに対して,神明社つまり伊勢信仰は御師・先達を軸とする熊野信仰と,神社勧請によって流布した八幡信仰との折衷したタイプとも考えられており,前者の誘導参詣から中世後期以降は勧請祭祀も盛んになって両者相伴って発展したとされている.そして神明社が各地に勧請祭祀されていく形態は幾つかのタイプに分類することができるものの,相模や武蔵などにおいては,近世の村開発と結び付いて勧請されることが非常に多かったという(参7).

 しかしながら,村の開発に結び付いて有力な神社を分霊勧請することは,神明社に限ったことではない.後述する稲荷信仰についても同様の現象がみられるとともに,青梅市新町を開いた吉野織部之助が新町の開拓に際して,生国である大和国金峯山の蔵王権現を勧請し神社を建立したことはよく知られているところである(参8).つまり,村の開発に際して,開拓された地域の守護神として,あるいはその地域を統合するシンボルとして有力な神社を勧請することが広く行われていたと思われる.



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1.2 地域にみる信仰の相違