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多摩川流域に祀られている神社を『新編武蔵風土記稿』から抽出してみると,表7.1.2のとおりになる.つまり稲荷神社が最も多く,次いで神明社(伊勢社・大神宮を含む)・八幡社・熊野権現・山王権現・第六天・山神社の順になっており,前述した三多摩地方とほぼ同じような傾向を示している.けれども流域を上流・中流・下流の3地域に分けて比較してみるとき,興味深い相違点に気付く.まず神社数の多い順に列挙すると,上流地域では熊野・稲荷・山神・神明・八幡・愛宕・山王・天神の順となっており,中流地域では稲荷・山王・八幡・神明・熊野・山神・第六天・諏訪の順,下流地域では稲荷・神明・八幡・第六天・熊野・諏訪・天神・弁天の順となっている.このうち数の多い上位5社についてみると,3地域ともに共通する神社としては稲荷・熊野・神明・八幡の4社がある.これらの4つの信仰は,流域全体において厚い信仰を集めてきた神々と位置づけることができよう.けれどもこれら4つの信仰についても,分布のあり方が相違する.例えば,稲荷信仰の場合は中・下流つまり流域を下るに従って次第に多くなり,八幡神社もほぼ同じような傾向を示す.これとは対照的に熊野神社は流域を遡るに従って増加しており,神明社は上流・中流地域では大きな変化がないのに対し,下流地域において急激に増加する.このように稲荷神社と八幡神社,神明神社は,流域全体で厚く信仰されてはいるというものの,それぞれ異なった分布状況を示しているのである.
しかしながら,上・中・下の3流域を最も特徴づけているのは,前述した共通部分以外の神社といえるのではなかろうか.こうした視点で上位5社をみると,上流地域では山神社,中流地域では山王社,下流地域では第六天社ということになろう.このうち,上流地域に山神社が多いことは,上流地域が山間部,中流地域が丘陵部,下流地域が平野部という立地条件の相違,およびそれに伴う生業差などによるものであると考えられるが,中流地域に山王神社が卓越していること,下流地域に第六天社が卓越していることなどは,なお今後に残された問題である.
また3地域の神社の所有関係においても,上流地域と下流地域とでは対照的なあり方を示している.所有関係については,『新編武蔵風土記縞』では百姓持ち・村民持ち・村持ち・神主持ち・別当・不明に分けることができ,このうち別当を「持ち」のなかに含めてみると,その所有関係は表7.1.2のごとくになる.全般的な傾向としては,百姓・村民・村持ちと寺院持ちが多く,神主・修験持ちは少ないということができるが,流域別にみると,上流地域では百姓・村民などの個人持ちと村持ちが多く,神主・寺院・修験などの宗教者の所有が多いとはいえないのに対して,下流地域では寺院持ちが圧倒的に多くなり,中流地区はほぼ上流・下流の中間的な様相をみせている.こうした傾向からして,下流地域における寺院は,地域社会の民間信仰のなかの重要な部分を掌握するとともに,中核に位置していたとみなすことができる.近世期,徳川幕府は寺院の本末関係,寺請制を行うことによって,寺院をして支配機構の一翼を担わせていたが,下流地域では寺院が神仏両者を掌握しているごとく幕府の意図がかなり貫徹されていたのに対し,上流地域では寺院がそれほど大きな力を堅持しえなかったとみることもできる.
ともあれ,これまで多摩川流域を上・中・下流と3地域に分け,『新編武蔵風土記稿』記載の神社の分布状況と所有関係とを検討してきたが,全体的にみて上流地域と下流地域とは対照的なあり方を示し,中流地域は両者の中間的な様相を示すことが明らかになった.そこで次に,上流地域を特徴づけている山の神信仰と,下流地域を特徴づけている第六天信仰などについて概観する.
山の神信仰 上流地域では,前述した山の神信仰が支配的であることに加え,熊野信仰が少なくはないことなども特徴の1つとして挙げることができる.しかし上流地域の民間信仰を最も特徴づけている信仰は山の神信仰であることからして,その一例として,まず山梨県北都留郡小菅村長作の事例を紹介する(参9).
小管村長作では,林業・製炭などの山仕事,麦・コンニャク・ワサビ・養蚕などの畑作が主生業となっており,かつては狩獵や畑作のなかでも焼畑が盛んに行われていた.こうしたことから山の神に対する信仰も盛んである.この地域の山の神は大山祗命とされ,山仕事をする人,山に入る人を守る神であると考えられている.またその容姿は老人で白い髯をばやし,長い衣裳を着て杖をついており,威勢がよく恐い顔で荒っぽい性格の持主であるともみられている.山の神は臨時に祀られるものと,常時祀られているものとがあり,後者のものでは山の神の木というものが2個所,自然石が1個所,祠が2個所ある.このうちの1個所の祠は3軒の家が共同で祀っている.
山の神の祭礼は,山仕事に従事している人とそうでない人とでは異なり,山仕事に従事している人は毎月17日に山の神の祭りをするが,それ以外の家では1月17日と10月あるいは12月17日の春・秋2回の祭りに限られる.山の神の祭日には山の神が矢射りをするためその矢に当たってはいけないというので仕事を休む.祀り方はミキスズといって竹筒に御神酒を入れて供えるが,以前はミキスズの他に,オカラク(蕎麦粉で作った団子をホウキを燃した火で焼いたもの)を供えた.オカラクはツトッコの笹の葉に3つずつ2包持っていき,ちぎって供え,残りを持ち帰ったという.またその際生木を供えると山の神が自分の木であると思い不思議なことが起こるので,切り株や枝を切って地面に刺して供えたという.また子供達が鶴峠という場所に祀られている山の神の祠の前に集まって火を焚き,蕎麦で作った餅を焼いて食べたこともあった.
林業に従事している人は,毎月の山の祭りの他,伐採に入る前や1月2日の山入り・炭焼きの竈[かまど]をつくるときなどにもミキスズを供えて山の神を祀る.また狩獵の場合,大きな獲物を補ったときなどに「山の神をやろう」といって御神酒をあげ,参加者が回し飲みして,獲物の心臓を参加者の数に等分して山の神に供えるという.
小菅村と接する丹波山村の場合も(参10),生業のあり方や山の神信仰など小管村とほぼ同様であり,林業に携わる人々は,毎月17日の山の神の祭りに仲間うちで集まって酒をくみかわし,互いの無事を祈るとともに,山のあちこちに祀られている山の神にオミキを持っていく.また,かつて盛んであった狩獵は,仲間を組み鹿や猪・熊などを捕るオオモノウチと,ほとんど一人で出掛け鳥類などを捕るコモノウチと分けることができる.このうちオオモノウチに際して獲物が捕れたときには山の神にささげてから持ち帰えり,オヒマチをするといわれるが,山の神にささげるという内容は獲物のレンゲ(心臓)を3つに切って供えることであった.さらに狩獵を行う人々は,毎月の17日,正月3日,10月1日の初狩などのときにタロザケ(竹を2つに切って酒を入れたもの)と,五穀を供えて祝う他,飛竜権現の祭りの日(11月29日)にも獵に出ない,身内に不幸があったクロビの7日間は獵に出ないとする禁忌もあり,「獵師の妻が妊娠すると,獲物が獲れる時はすごくとれるが,獲れない時はさっばり獲れない」という伝承も伝えられている.
以上,小菅村・丹波山村2地区の山の神信仰を紹介したが,上流地区の山の神祭祀は,狩獵・林業など山仕事に従事している人々が行う祭祀と村・講・各家ごとに行う祭祀とに分けることができ,前者の場合は月ごととか仕事の区切りごとなどのように祀る回数も多く,タブーも厳守されている.後者,つまり村・講・各家で山の神を祀ることも少なくはない.例えば青梅市日影和田のように(参11),1月17日に「山の神のお日待ち」と称し,部落の人々が集まって山の神にオミキをあげ,ケンチンジルを食べて祝うところもあり,同市古武士には鎮守として山の神社が祀られているところもある.古武士では春祭3月15日,秋祭9月29日の年2回の祭りがあり,祭りには各15戸位から成る3つの組(ニワバという)が毎年交代で当番をつとめ,海・山の幸を供物として供えるという.
いずれにしても,上流地区は山間部であり,林業などの山仕事が中心に置かれてきたことから,山の神信仰が盛んであり,山仕事に従事する人々が信仰する山の神の性格は,農業でみられるような田の神・山の神の交替をとく信仰がほとんどみられないこと,山仕事の安全を守る神であること,動物などの獲物を与えてくれる神であること,こうした恩恵を与えてくれる反面恐ろしい性格も有していること等々の性格を示している.また山の神については男女の性別を問題にすることも多く,女性,男性,夫婦神などといい,全国的視野からみると小菅村長作のように男神とするものは少なく,むしろ女神と考えていることが多い.多摩川流域でも,男神とする以外にも,女神と考えて櫛を奉納するところや,山の神は女性であらたかな神とするところなどもあるほか,性別を問題にしないところもみられる.
第六天信仰・杉山明神 下流地域においては前述のとおり寺院持ちの神社が多いこと,稲荷・神明・第六天などの神社数が他の上流・中流の地域に比較して急増していることなどに加え,弁天社の数が多くなっていることも特色の一つに加えることができる.また前掲の表7.1.2には示していないが,『新編武蔵風土記稿』によると,杉山社・杉山明神社が川崎・横浜市域に特徴ある分布を示している.戸倉英太郎(参12)も『新編武蔵風土記稿』より杉山神社を抽出し,旧都筑郡24社・橘樹郡37社・久良岐郡5社・南多摩郡6社を数え,現在の地域にあててみると横浜市域50社,川崎市16社,東京都6社になるという.この杉山社は『続日本後紀』838年(承和5)の条や848年(承和15)の条にみえる古社ではあるが,今日祀られている杉山社のなかで,どの神社が『続日本後紀』記載の神社に相当するものか明らかではない.その信仰が自然崇拝に端を発し,忌部氏の祖神を祀るようになったと考えられているものの,今後に残された問題の多い神社である.
さて第六天信仰は表7.1.2にみるごとく多摩川流域全体に分布しているが,下流地域において著しく急増しており,下流地域の民間信仰を特色づけている信仰の1つといえよう.第六天は,第六天の魔王・他化自在天[たけじざいてん]ともいわれ,『仏教語大辞典』(参13)によれば,「常に多くの眷属を卒いて人間界において仏教にさまたげをなす」といい,神仏習合の結果第六天神として祀られ,その祭神は面足尊・惶根尊に当てられている.
民間における第六天信仰については必ずしも明らかではないが,木村博(参14)によると『新編相模風土記稿』からは約140余社,『新編武蔵風土記稿』からは320余社の第六天社を抽出することができるものの,明治初年の神仏分離によって急速に衰退したとされる.また民間における第六天信仰は,伊豆・駿河においては子供の守護神として信仰されており,甲斐においては「魔王さん」と呼ばれ,天神信仰と習合し子供の安全を祈ることが行われている他,疫病神を除く神として信仰されている地域もあるという.けれども,語呂合わせ的発想から第六天王・第六天神信仰から天王信仰,天神信仰へと展開したこと,魔王である第六天が守護神に転化し疫神除けの神として信仰されたこと,今日ほとんど第六天像が見当たらないが,その形態からして三宝荒神などの名で伝承されているのではないかとも推測されている.
多摩流域における第六天社の分布は,ほぼ神明社の分布傾向とほぼ同一である.この点萩原龍夫(参15)が伊勢神道において早くから第六天魔王説がとなえられ,神明社の分布,建立時期と第六天社の分布・建立時期はほぼ一致し,明治初年,旧東京府に限って高木神社・榊神社と改称したと指摘しているように,伊勢信仰の流布と関係があったと思われるが,多摩流域の第六天の信仰内容がいかなるものであったかは,今後の問題として残る.