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ここで世間話というのは,散文形態の口承文芸の一類として,昔話や伝説とともに挙げられるものである.欧米の民俗学の術語とは,直ちに比べられるものではないが,日本の民俗学の立場では,柳田国男の「世間話の研究」(参12)をはじめ,今日の研究者の著作にも,かなり多く用いられている.その概念や内容については,必ずしも明らかではないが,それらの研究者の著作を通じて,この名称の用法を探ると,様々な民間の説話の中で,何らかの地名や人名を伴って,あたかも経験や事実のように,広い世間の見聞について話すものを指している.
そのような世間の見聞は,民俗学でいう伝説と同じように,確かな事実として受け入れられるが,いわゆる伝説とは違って,はるかな過去に属することではなく,身近な現在に属することと認められている.いかにまことしやかに話されていても,確かにそのとおりとは決められないが,ただ事実とのつながりによって,ひたすら聞き手の心をとらえるのである.世間話の著しい特質は,それぞれの場にふさわしく,聞き手の心に迎えられるように,自由にものをいうことであった.語りの調子による昔話と比べると,自由なものいいによる世間話は,それほど後の世に伝えられることなく,大概その場でいい捨てられたようである.しかし,いかに自由なものいいといっても,古くからの人々の暮らしでは,話の種が思いのほかに限られており,話の型もむやみに多くなかったとみられる.
多摩川の流域の各地でも,「○○の昔話」や「○○の民話」が,かなり多くまとめられているが,それらの資料の大部分は,必ずしも前記のような昔話ではなくて,むしろ世間話や伝説に属するものであったといえよう.しかも,そのような世間話の中心をなすのは,いわゆる奇事異聞に当たるものであったといってよい(参13).実際にどこの土地でも,「何か変ったことはないか」といって,しきりに珍奇な話題が求められていた.例えば,上流・中流・下流という地域の別とかかわりなく,狐や狸や河童のいたずらのように,様々な怪異に関する話が,何よりも好まれたものであり,そこには,特に多摩川に関するものも,少なからず含まれていた.それによると,そのような地域の別に応じて,最もふさわしい装いを凝しながら,ほとんど同じような話の種が,かなり広くもてはやされたようである.