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福生市熊川では,いつのころか,多摩川に大水が出て,熊が流されてきて,何かに引っ掛かった.こちらの岸は,熊が顔を向け,向こうの岸は,熊が尾を向けたので,それぞれ熊川,小川と呼ばれるようになったという(参50).同市内出でも,乞食のような坊主がきて,きれいな水を出してくれたが,何か汚いものを洗って,その水を止められてしまったと伝えられる(参51).
八王子市内の各地では,極めて多くの伝説が集められて,前記の「八王子周辺の民話(参52)」,『八王子ふるさとのむかし話(参53)』などに収められている.その主要な事例を挙げると,同市上恩方町醍醐では,竜神淵という淵があって,男淵と女淵とに分かれている.別名を雨乞い淵ともいって,ま夏の日照りのときには,竜神からお水を借りるところであった.この女淵のかたわらには,乙姫の顔洗い岩というものがあって,そのくぼみに水をたたえていた.ここでは,ある男が誤まって鉈を落としたが,美しい乙姫からその鉈を返されたとも,また糸巻を与えられたとも伝えられる(参54).先に「世間話」の項にも触れたように,同市裏高尾町の景信山では,北条方の落武者で,景信という片目の男が,藤の蔓に馬の脚をとられて,たちまち谷の底に落ちて死んだという.その景信のたたりで,景信山に藤の蔓がはえず,景信が淵に片目のヤマメが住むと伝えられる(参55).この地の矢渕では,八王子の合戦のときに,城方から多くの矢を射かけ,それが岩の上に立っていたという(参56).また,この地の美しい娘は,八王子の落城で,恋しい男を失ったので,ついに谷川に飛び込んで,そのまま鰻に化したとも伝えられる(参57).同市日吉町の水無河原では,浅川の水が地の底を流れている.そのいわれについて,弘法大師が飲み水を求めたのに,ある老婆がそれを断った.そこで,大師が川の水を飲んで,何か呪文を唱えると,たちまちその水がかれてしまったという(参58).同市西中野の安土では,浅川の畔に姿見橋という橋が架かっていた.小野小町が陸奥に落ちてゆく道で,その落ちぶれた姿を水に映して見たので,この橋の名が付けられたと伝えられる(参59).
立川市富士見町に,残堀(ざんぼり)川という川があって,元々蛇堀川と呼ばれていたという.瑞穂町のジエモンという男が,大蛇にまきつかれながら,その胴中を食いちぎった.その大蛇の体からは,三日三晩も血が流れて,現在の残堀川になっという(参60).それとはかかわりないが,同市砂川では,どこか水の少ない村で,蛇ののたうち回った跡が,川となって残っているともいう(参61).
国立市の谷保天神の南方には,津戸が淵という沼があって,恐ろしい化け物が現れたという.しかし,その宮司の津戸為守が,大きな蛇を斬ってからは,あやしいことも起こらなくなったと伝えられる(参62).この伝説の沼そのものも,多摩川の洪水で押し流されてしまった.
稲城市矢野口には,穴沢天神社の縁起が伝えられている.それによると,正治1年(1199)の7月に,1人の童子を通じて,天神の託宣をこうむり,山の上にその神をまつったというものである.そうすると多摩川の洪水で,その川の瀬が移って,新しい田も開かれたという(参63).元禄16年(1703)に,多摩川の堤防を築くに当たって,水の神の怒りを鎮めるために,2人の人柱を立てたとも伝えられる(参64).