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多摩川飛んで出て 新宿にはいりゃ
四谷の蔦屋 一息だよ」
山川育ちの 小鮎でさえも
江戸に下れば 酒のとも」
鮎は瀬にすむ 鳥は木にとまる
人は情の 下にすむ
江戸時代には,稲城市の方面から,府中市四ツ谷の郷倉まで,筏に米俵を積んで運ぶのに,1人の船頭がこれを操り,6人の若者がこれを曳いて,多摩川の流れをさかのぼっていった.多摩市関戸には,そのための舟曳き道が残っており,それに伴う舟曳き唄も伝えられている(参77).
曳けよ曳け曳け 六本鋼つけて
瀬張りゃ頼むぞ 若い者」
焼き米ついて たんぼの神へ
どうぞお米の とれるよう
明治の中期から後期にかけて,府中市や調布市では,多摩川の船頭の間に,角力甚句のような唄が好んで歌われていた.わけても,舟に石を積んで,川上にこれを曳き揚げるのに,この唄がよく歌われたものである(参78).
舟も新らし 船頭さきんも若い
艫舵(ともかじ)頼むぞ 船頭さん」
舟の綱曳きゃ 足並一つ
背張りや船頭の 腕一つ」
人の見たがる 新木の舟に
船頭なりゃこそ 昼寝する
そのような船頭の唄の中に,古くは調布の河原で,布をさらすのに歌われたというものも混じっていた(参79).
富士と筑波に 長竿かけて
間(あい)の多摩川 布ざらし」
富士と語れば 筑波がやける
赤城颪が しりまくる