4.2 中流地域
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4.2 中流地域

 江戸時代から明治初年にかけて,多摩川や秋川でとれた鮎は,八王子市加住の高月などから,新宿区四谷の鮎問屋に送られていた.この鮎担ぎの人夫は,夜中から明け方まで,天秤棒で鮎籠を担ぎながら,威勢よく街道をかけていった.暗い夜道では狐や狸に化かされないように,大きな声で鮎担ぎ唄を歌ったものである(参76).

  多摩川飛んで出て 新宿にはいりゃ
  四谷の蔦屋 一息だよ」
  山川育ちの 小鮎でさえも
  江戸に下れば 酒のとも」
  鮎は瀬にすむ 鳥は木にとまる   人は情の 下にすむ

 江戸時代には,稲城市の方面から,府中市四ツ谷の郷倉まで,筏に米俵を積んで運ぶのに,1人の船頭がこれを操り,6人の若者がこれを曳いて,多摩川の流れをさかのぼっていった.多摩市関戸には,そのための舟曳き道が残っており,それに伴う舟曳き唄も伝えられている(参77).

  曳けよ曳け曳け 六本鋼つけて
  瀬張りゃ頼むぞ 若い者」
  焼き米ついて たんぼの神へ
  どうぞお米の とれるよう

 明治の中期から後期にかけて,府中市や調布市では,多摩川の船頭の間に,角力甚句のような唄が好んで歌われていた.わけても,舟に石を積んで,川上にこれを曳き揚げるのに,この唄がよく歌われたものである(参78).

  舟も新らし 船頭さきんも若い
  艫舵(ともかじ)頼むぞ 船頭さん」
  舟の綱曳きゃ 足並一つ
  背張りや船頭の 腕一つ」
  人の見たがる 新木の舟に
  船頭なりゃこそ 昼寝する

 そのような船頭の唄の中に,古くは調布の河原で,布をさらすのに歌われたというものも混じっていた(参79).

  富士と筑波に 長竿かけて
  間(あい)の多摩川 布ざらし」
  富士と語れば 筑波がやける
  赤城颪が しりまくる



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