4.2 中世の仏像
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4.2 中世の仏像

 多摩川流域地帯は平安時代中期ごろから注目すべき武士団が漸々に勢力を蓄えつつあった.そしてまた,鎌倉・室町・戦国時代へと時代が推移する中で,中世武士の活躍がみられる.当然のことながらこれら武士に関係の深い寺院が数多くあり,かれら坂東武者が信仰を寄せる仏像も多く伝存しているのである.

 目黒区行人坂の大円寺は明和9年(1772)の江戸大火の火元とみられた寺で,焼死者供養としての石造五百羅漢の並ぶ寺として有名である.当寺には鎌倉幕府が開かれた翌年の建久4年(1193)に製作されたと思われる木造釈迦如来立像(重要文化財)が安置されている.製作年代を確定する証拠としては像内に納入されてある銅鏡と2枚の和紙がある.銅鏡には「釈迦如来 建久四年十月十六日 丹治氏乙犬女」という文字が刻まれている.丹治氏といえば武蔵七党の1つ丹党のことであるが,彼女がこの釈迦如来像の寄進者と推定されるのである.

 重要文化財の指定を受けている大田区池上本門寺の木造日蓮上人坐像は,膝裏に正応元年(1288)6月8日の年記があり,日持・日浄が大願主になっている.本門寺といえばこの地の豪族池上氏の邸地で,日蓮上人はここで入寂している.なお「兄弟抄」は重要文化財であり,弘安元年(1278)7月14日に妙法尼にあてた「日蓮消息」(都指定有形文化財)は日蓮研究のみならず,当地の地方豪族を知るうえで極めて重要な歴史的資料として注目されている.

 多摩川中流域とその支流域には中世仏像が実に多い.府中市善明寺は府中大国魂神社(六所明神)の別当寺であった.ここに現存する阿弥陀如来坐像(重要文化財)は建長5年(1252)2月の製作銘を持つ鉄造仏で類例は少ないが,関東地方の特例として注目されている.胎内にも鉄造阿弥陀如来立像が納入されている.これより数年早い作品としては日野市八幡神社の阿弥陀如来坐像(重要文化財)と,同3年(1251)の製作になる府中市白糸台八幡神社の阿弥陀如来立像(重要文化財)はともに金銅仏であるが,作法が共通していて面白い.

 立川市普済寺の木造物外和尚坐像は像内に応安3年(1370)11月の製作銘がある.真照大定禅師物外可什和尚は貞治2年(1363)12月8日に齢78で示寂しているから,死後わずか7年にして作製されたものであり,よくその特徴をとらえているものと思われる.作者は仏師上総法橋朝宗である.物外可什は大応国師を師と仰ぎ,元応2年(1320)には元に渡って修業をし,帰朝して筑紫崇福寺に居たとき,招かれて鎌倉建長寺に迎えられた学僧である.立川普済寺は晩年に開創したものである.なお,当寺には延文6年(1361)製作の国宝六面石幢がある.

 八王子市西寺方町の宝生寺にある木造毘沙門天立像(都指定有形文化財)は像高91cmの鎌倉中期の製作と推定されている.同市川口町の長楽寺の木造薬師如来坐像(都指定有形文化財)は像高92.4cm,地方作ながら鎌倉時代中期の堅実な手法がうかがわれ,像全体の均整がよくとれていて美しい.保存もよく光背・台座もあまり損傷していない.同市由木清鏡寺の十一面観世音菩薩立像(都指定有形文化財)も鎌倉時代初期の作品と推定されている.像高91.5cm.『新編武蔵風土記稿』によると,この像は同所松木の教福廃寺仏を移したものとしている.同じく由木蓮生寺の木造不動明王立像(都指定有形文化財)は110cm,木造毘沙門天像(都指定有形文化財)は111cmでともに鎌倉初期の作品と考えられている.毘沙門天像には宝暦3年(1753)12月29日の修理銘のみあるが,作者はさだかではない.

 高尾山薬王院の木造不動明王と二童子立像(ともに都指定有形文化財)は室町時代以前の作品であり,三尊構成の作趣からみて鎌倉末の特色を持っている.不動明王像は像高112.7cm,矜羯羅童子像は56.4cm,制迦童子像は57.6cmで,三尊ともその手法は優れている.

 西多摩郡五日市戸倉の光厳寺は戦国時代には,武蔵国守護代大石氏の隠居城と伝えられる戸倉城址の東麓にある.この寺の木造釈迦如来坐像(都指定有形文化財)は像高65cmながら,南北朝期の康安2年(1362)8月に法印運朝の手に成る禅宗風釈迦如来像の典型例であり,宋朝風の禅宗仏像としての独特な容姿をしており,美術史上注目される.この像は元,鎌倉建長寺にあったものを明治の初めにここに移したものである.

 昭島市拝島の普明寺仁王門の金剛力士像(都指定有形文化財)は鎌倉期の作品としては穏やかな造りである.阿形の像高は335cm,吽形は320cmで,平安時代の様式を備えており,作風などからこの時期の数少ない美術史上珍重すべき遺例である.

 中世の仏像を数多く蔵している寺院として有名なのは青梅市塩船の観音寺である.南西約1kmの地に勝沼城(都指定史跡)を構え,室町時代この地方一帯を支配していた雄族三田氏は,小田原北条氏の進出に従い,北条氏照の急襲にあって滅亡した.塩船観音寺はこの三田氏によって復興された真言宗の寺院で,現存の観音堂・阿弥陀堂・仁王門は室町時代の建築でともに重要文化財の指定を受けている.木造千手観世音菩薩立像(都指定有形文化財)は像高140cm,藤原末〜鎌倉初期の作品とみられている.永正9年(1512)3月に勝沼城主三田弾正忠氏宗が,仏師下野弘円に修理を依頼したことが台座裏の銘文により知られる.鮮やかな手法であり,かつ,豪族三田氏の歴史を知るうえで極めて貴重な資料である.

 木造功徳天立像(都指定有形文化財)の姿は優雅である.像高122cm,鎌倉時代の製作であることは胎内銘によって分明である.建治2年(1276)3月常陸房聖快によって作られたものである.観音像と同様永正9年(1512)3月に下野弘円が修理している.なお,功徳天像は観音眷族廿八部衆(都指定有形文化財)とともに千手観音像厨子の傍らに安置してあり,壮厳な密教世界をかもし出している.

 仁王門の阿吽両金剛力士像(都指定有形文化財)はともに像高約273cm,鎌倉時代の製作であろう.天文2年(1533)卯月6日の修理木札があり,三田弾正忠政定が大旦那となり,鎌倉仏師円慶の手によって修理されている.さらにこの作風からも慶派の仏師によって作製されたことが推定される.

 川崎市中原区宮内の常楽寺にある木造十二神将立像(12躯)は昭和44年から3カ年かけて解体修理され,昭和49年に市の文化財に指定された.おおむね鎌倉地方の十二神将像系統を引くものと考えられ,室町時代の作と推定されている.各像それぞれに十二支の尊名が墨書されており,研究史上貴重な作品である.また銘札の存在は常楽寺の信仰範囲を知るうえで大切な手掛かりになっている.

 妙楽寺の薬師三尊像について述べると本尊薬師如来像は坐像で像高は47.5cm,脇侍は日光・月光菩薩でともに立像,像高は64.5cmと65.2cmある.本尊薬師如来坐像の胎内墨書銘には永正6年(1509)12月造立とあるが,作者銘が判読できない.

 能満寺の虚空菩薩立像は寄木造り,像高102.3cm.墨書銘により明徳元年(1390)5月,仏師朝祐の作である.朝祐は鎌倉円覚寺の十二神将や伽藍神像の製作者でもあり,当時の代表的仏師である.



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