1.3 多摩川の名称についての諸説
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1.3 多摩川の名称についての諸説

 多摩川という河川名については,これを現在の多摩川以外の川に比定する説はない.したがって,これまでのこの名については,もっぱら「多摩」という語の語源と,その範囲とについての議論であるといってよい.まず,多摩という地域を流れているから多摩川であるのか,多摩川という河川の流域であるから多摩という地域名が生まれたのかという問題がある.タマという音に当てるために文字が当てられたのであって,その根拠を,地名を記すには二文字の好字をもってせよという和銅6(713)年の詔がその初めであるとすることに求められるならば,多摩とも多磨とも記される理由(参5)は容易に理解できるであろう.

 それでは,タマとは何であるか.そもそもこの二字をどう発音したかについても,古来幾つかの見解がある.この発音について,最も早く記載しているのは,九世紀に作られた源順卿の作といわれる「倭名類聚鈔」の国郡の部に,「武蔵国」として国府在多磨郡 管二十一と記して郡名21を挙げ,かつその多磨について「多磨 太婆」と訓がつけられている.これによって古くはタバと読んでいたという意見が,これまでは一般的であった.しかし,一部には婆は必ずしもバとだけ発音したのではなくマともいっているという説もあるという.この著者はいかに博学とはいえ京都在住の公卿にすぎず,現地でこの名を実検したわけではない.恐らく国府在勤者あるいは公用でその地方から上京した者から耳で聞いて訓をつけたのであろうから,正確にこの地方住民の呼称表現か否かには若干の疑問がある.ただ,この当時の地名としては,この資料以外にほとんど適当なよるべきものがないので,しばらく源氏の著作に基づいて,タバもしくはそれに近い発音がこの地名にはあったらしいとみておくというにすぎない.

 いずれにしても,この地方でこれに比定し得る大河川は現在の多摩川であり,調布をさらし得る清流という点からも,この河川以外は多摩川と呼ばれた川は考えられない.しかも,その両岸は一方は台地で焼畑農耕もあった水の乏しい土地,他方は丘陵地であるが湧水や小河流を利用して水田経営が可能であり,起伏も大きく森林にも富んでいたらしい.したがって,古来の土地利用や農業経営にはかなりの違いがあり,もし多摩川がなかったなら,その南北が同一の行政区名で呼ばれる類似の地域名のもとに一括されるのは困難ではないかと考えられる.それらが同じく多摩郡となっていたのは,結局は多摩川流域である故に川の名によって両岸を同一行政組織下においた結果とみてよいであろう.つまり,多摩郡の名称は多摩川があってその両岸を流域として一括した結果とみられる.約言すれば多摩川がさきにあって,多摩郡という範囲が決められたことになる.保坂芳春氏の説はこれを採っている(参6).



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1.3 多摩川の名称についての諸説