2.2 近代の地名変更と語源論
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2.2 近代の地名変更と語源論

 現在の多摩川流域では,地域の変化が急激に進んでいる.東京の都市としての拡大に伴って,隣接地域がそれに対応する形で次々と遠方まで波及効果を広げつつあるのである.殊にその影響は農地や山林・原野のような,非都市的用途に供されてきた土地の,都市的用途への転換という形で進行しつつある.例えば,住宅地・道路・公園などへの転換,山林・原野のゴルフ場・遊園地などのレジャー用地への転換,その他学校・病院・体育施設などの建設,海岸部では埋立てによる工場・道路・倉庫・飛行場などの拡張などがこれに加わる.それらに伴って新用途の土地に対して新しい名称が必要になり,旧地名の消滅,新地名の命名などが要求されて,いわゆる住居表示制度が実施されつつある.

 しかしながら,少し詳しくこの状況を発生過程として検討してみると,決してこの現象は近ごろ始まったわけではなく,古来の武蔵野の開拓に従って,はるかに中世このかた着々と進行してきたものであった.多摩川沿岸,殊に中流以下の河岸段丘が居住領域に組み入れられてゆくのにつれて,新村落の建設,耕地の開拓,道路・水路の開通,林野の減少などとともに,次第に進んできたもので,それらに伴って進行した地名の改変,新設が行われてきたのである.必ずしも現代に初めて起こった現象ではなかったので,例えば「風土記稿」は「倭名類聚鈔」における多摩郡の郷は10であったものが,後代の文献に記載される郷・保・庄・杣などの数は,都内合わせて70にのぼり,近世の村としては433となったと記している.しかも,その他の近世中期以後開墾して新村となった新田村はこれに含まれていないのである.すなわち,

 「正保年間(1644〜47)改定の合村三百二十,元禄(1688〜1703)に至て再訂の時合村三百六十七,前に比すれば増加すること四十七,今(1822)現存の合村を元禄の頃に比すれば,又加はること六十六.」

と記している.

 要するに多摩川流域には古代から現代までの地名が,新旧の層序をなして累積しているのであって,現代はその侵食による消滅,堆積による増加が殊に速度を早めているというにすぎない.ただ,注意すべき点として,明治以後の都市化においては丁目・番地という一種の記号化が進み,地名という土地の性質を考えた固有名詞以外に番号による順序化という質的転化が起こったことがある.それに付随して,全国的な傾向と同じく,多摩川流域においても「新田・新開」という耕地・宅地の開発の新しさを意味する名称が,急速に消滅しつつあること,それに代わって○○が丘,口口台などという,土地の形状や性質とほとんど無関係な抽象的住宅地名が増加しつつあることが,1つの特色となっている.

 殊に住宅団地の場合には,多くは山林・原野・台地の畑などこれまで粗放な利用をしていたために,1つの地名で広い区域を呼んでいた場所が,多くの住宅集団を抱えて細分化されることとなる.このために地名は急にそれぞれの小区域に適当な呼称を必要とすることになり,特にその区域の性質にふさわしい名称が共通の認識として生まれないままに,何かの名が呼称されなくてはならない.殊に企業がそれを開発しようとする場合,イメージを良くして購買意欲をそそるためにも,実態にそぐわない美称が与えられることになる.また,地方自治体側では事務処理のうえから数字化した名称を付けたがる.例えば,国分寺と立川との中間の林地が区画されて住宅地化したとき,元の地名を避けて国分寺と立川との1字ずつを重ねて国立と名付けたのがそれである.さらにその内部を格子状に区画して,北・西・中・東の方位名に区切り,1つだけ富士見という地名をとり,これらの各々について数字の丁目と番地を設定している.典型的な他から与えた小地名形成の一例といえよう.小金井市内においても武蔵野台地の,それまで地名のなかった畑地と森林とが,住宅地化すると東・中・本・緑・桜などの町内に区分されたが,いずれの場合をとっても極めて抽象的・画一的の感を免れない.

 上記のように,地名というものは,単なる住民の命名技術を知るに止まらず,彼等の生活意識,土地の形状・地物についての認識とそれらの歴史的変遷,さらに地域社会相互の交渉など,ある程度まで分析することが可能である.さらには支配機構や企業のあり方もそこに露呈されることになるのであるが,反面でそれらの活動を主として命名された地名には,逆に居住者側の意識の反映は薄くなってゆく.このような点からすると,近年に改変された小地名については,民俗としての地名という目的からして,あまり多く触れる必要は乏しいであろう.

 これまで地名については多くの研究が発表されており,多摩川流域についてもその数は少なくないといえる.しかしながら,その多くは広域地名のあるものを,語源を求めて考察し,発生地を問題にするよりも直接語音の類似によってアイヌ語や朝鮮語などで解釈する,あるいはヒンデイ語やへブライ語までを駆使して論ずるという傾向がまれではなかった(参19).例えそれによって名称そのものが説明できたとしても,問題はそのような外来語(しかも現代の)が,何故に孤立して日本の某地のみに付けられることになったのかが明らかにされなければ,偶然の一致にすぎないという考えを拭い去ることはできない.



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