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地名の中には,元々地形や地物の名称から発生したものが多い.そこで,本書の上流・中流という区域の分割にもかかわらず,本流では青梅市から下流,秋川で秋留市から下流,浅川では八王子市恩方から下流という流域では,それぞれ段丘が広く発達し,また谷底平野も広くなるので,地名にはおのずからその地形状態が反映してくる.本流および秋川についていえば,殊に中流域に特徴的な地形である平坦な段丘面と急な斜面である段丘崖が発達し,河川の右岸に近く丘陵性急崖が迫り,そこから大小の支谷が流入しているという差異が対照的である.最も低い段丘崖の下に礫を多量に散布する河道と河原があり,これによってしばしば洪水が起こって河道が変わる.このような地域では最初の人類居住地は,水が得やすくしかも水害の恐れの少ない上位の段丘崖下が選ばれたであろう.この点は採集・狩獵の時代とてもそうであったろうが,農地を経営して定着生活を送るようになると,極めて明確になったと考えられ,それは古代の遺物・遺跡と共に地名によって証拠立てられる.
例えば,氾濫原では砂礫質の地区に○○河原という地名が分布し,そのうちのやや高くなって水害を防ぎ得る微高地がシマと呼ばれ,居住地となっている場合はまれでない.また,武蔵野の高い段丘面は久しく採草地・樹林地で,サンヤ(散野,山谷,三屋,三谷などと,様々な文字で示される),○○林という地名が分布し,それらが近世中期以後の開拓によって集落が発生すると,○○新田と呼ばれるようになる.
これらに対して,段丘崖下には湧水地をさす清水・井戸・川などの地名があって,小宮領中野村清水,同平村井戸窪,世田谷領野川村,大沢村,和泉村,鳥山村泉沢寺などの湧水や水源にちなんだ地名が多い.
以上は,地形,地物に伴う自然地名であるが,この地域には古代から居住者が多かったので,それらの人びとの建設した施設にちなむ歴史的地名の多いことも特色である.武蔵の国衙が置かれた府中宿の他,国分寺のあった現国分寺市,六所神社の社領としての京所,恋が窪村の堂場窪,本宿村の小野宮・天神島,日野市の蓮光寺・万願寺・東光寺などの寺院名を持つ地名,宮村阿弥陀堂,上田村の町屋などはいずれもそこに中世以前からの住民が多かったことを示すもの,それらの人びとによる社寺の造営があったものとみなされる地名である.また,開発名主の名からくる人名の集落がみられることは,いわゆる名田の存在を示し,是政,常久などの地名はその事例といえる.これらが一般に低位段丘面に位置して湧水があり,歴史の古さを語っているのに対して高位の武蔵野台地が水の乏しい非居住地として久しく放置されていたことは,甲州街道に沿うこの台地上の小名に「水無」という地名が散見することでもわかる.(図7.4.2 小字地名より推定した近世武蔵野の範囲)
上記の地名は,「風土記稿」にみえる小名以上の地名のみによるので,非居住地で小名とならない山林・原野や耕地のみの小字などの地名をも加えて考えるならば,より明確な地形との関連がうかがわれると思う.このような予想を支持する事例として,いわゆる武蔵野と呼ばれた地域の縮少過程を小地名によって考察してみたい.武蔵野という呼称は,京都方面の記事としては武蔵国にある原野というほどの意味で用いられた場合が多いであろうが,現地におけるそれは,実態を多少とも認識して地域を限定して用いたものと考える.「風土記稿」は次のように述べている.
「武蔵野新田は,多摩・入間・新座・高麗の四郡に跨りて,昔は茫々たる曠野の地なりしに,享保年間新墾の事を命ぜられしかば(中略),その区別は多摩郡に属するもの四十村,新座郡に属するもの四村,入間郡に属するもの十九村,高麗郡に属するもの十九村なり.」
とあって,大半が多摩郡に含まれていた.東は現武蔵野市の西部から西は日野市付近に及ぶ範囲で,近世後半期にその残った部分は狭山丘陵の西方に局限されたらしい.「北国紀行」にも「武蔵野を分はべるに,野辺のほとり名に聞えし狭山あり.」とみえ,「江戸名所図会」にも「月夜狭山に登りて四隣を願望するときは,曠野蒼茫千里無限,往古の状を想像するにたれり.」と記している.東京都都市計画図に示される小字地名を調べると,「○○武蔵野」という小地名が,この地域に広く分布していることがわかる.すなわち,北は箱根が崎の北部から,南は立川市砂川に至る範囲に,「川崎武蔵野」「二宮武蔵野」など旧村名を冠したもの,また,「東武蔵野」「南武蔵野」などの位置・方角を示す名称を付けられた小字が,横田飛行場を中心とする地区に,約10km四方にわたって武蔵野台地上に散在している.これらからみて,近世後期の武蔵野の最後の縮小残存の範囲は,南は立川市西立川駅付近から北は瑞穂町の北端,西は羽村駅付近に至り,東は箱根ケ崎南端までと推定される.これが入会の採草地として残存し,町村制の施行によって旧村に分割されるに従って,その名称を冠して小字名が付けられたのではなかろうか(参23).