5.2 海岸と市街地の地名
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5.2 海岸と市街地の地名

 下流地域には,多摩川が東京湾に注ぐ河口までが含まれる.したがって海岸についての地名もあるはずだが,実際には純粋に海岸特有とみられる地名は川崎市街に近い扇が浜のみである.この土地は現在では埋立地となって,扇島町となった一部に当たり,その名称のもととなった.その他,潮田・塩浜という海水に関係した地名もあったのであるが,他方では多摩丘陵の内部にも塩釜という地名があり,塩といっても必ずしも海岸地名とはいい難い.多摩川河口に当たって,羽田獵師町の名称もあるが,これは漁業者が多かったための地域社会を指した呼称であるらしく,土地の名称は東・仲・西の3つの小名が存在した.

 これら以外は,近世以後干潟を干拓して進められた新田開発のあとを示すと思われる○○新田の地名が,海岸付近を覆い尽くすほどに多い.四人新田・七人新田・弥次右衛門新田などの開発者を示したもの,北新田・中新田のような本村から位置を示すものといったタイプの新田地名が一般的で,請負新田と持添新田という開発の形態が普通であったらしい.これら新田の付く地名は,その後の来住者から喜ばれなかった結果であろうか,この地域が川崎市の発展に伴って市街化あるいは工場敷地として発達するようになると,一部はこれらの企業にちなんだ名称に,その他は住民にとって快い感じを与える地名に変えられるようになる.例えば,芝浦電機の工場があるために芝浦の町名ができ,昭和電工の工場地が昭和町,さらに埋立者の姓にちなんで浅野町の名ができるというような,地名の改称が大正・昭和にかけて盛んになった.

 このような傾向が現れる1つのきっかけとなったのは,関東大震災による東京・横浜地区の市街地にあった工場が,災害を避けるため被災地域の郊外であり,交通輸送に支障の少ない東海道本線沿線あるいは国道1号線の付近に土地を求めて移動するようになったことにある(参26).その需要に応じて京浜運河計画や鶴見−羽田などの海岸埋立てが進み,新しく造成された土地に地名が付けられるようになったわけである.また,このような大田区地域や川崎市の拡張に伴って,住宅地の開発や商業地区も進出し始め,それまでの耕地が宅地化し,道路や鉄道も伸張するようになって,以前の広い地域に対する地名の細分や地名呼称の改変が次第に著しくなっていった.

 いうまでもなく,このような傾向は多摩川中流部においても著しく,特に,初めは中央本線沿い,次いで京王・小田急沿線に宅地化,公共用施設,学校などが現れていったが,その最も著しいのが下流地域である.それは,この地域が,東京と横浜という2大市街地のちょうど接触するところにあり,最も距離的に両地域と連絡しやすかったことに求められよう.

 新しい地名の命名はいうまでもなく,埋立てによる新造成地であるが,これには埋立てに功労のあった浅野総一郎,白石元治郎らの姓にちなんで,浅野,白石というような地名として最も穏やかなものがまず選ばれ,次いで大きな工場の名称として昭和電工の昭和,日本鋼管の鋼管などが現れる.もっとも地表状態と無関係に単なる好ましい名称を付けたものに,矢向(やこう)新田を夜光と改めたり,末広,緑ケ丘,平和島といった新地区名称を付けた場合がみられる.この傾向の最も早いものは東京横浜間を結ぶ東京横浜電気鉄道に沿う住宅団地田園調布の開設ではなかろうか.また,目黒区南端の自由が丘などもこの一例といえよう.

 さらに注目すべきものに,地名の改称とともにそれら地域の範囲,境界の変更がある.殊に中,下流流域では丘陵・台地の宅地・用地の造成と新交通路,殊に高速の鉄道と自動車道路とが建設されて,交通体系が地域内でも変更されざるを得なくなって,これら交通路を境界線として採用する地区が増大しつつある.また,住宅地区では地域の細分のためと登録上の便宜から丁目・番地という記号化によって地名を代替させる傾向が急速に進展し,旧小地名が消滅しつつあるのが現状といえる.



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