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多摩川流域の寺院では,それぞれの寺院の由来や高僧に因む各種の行事が行われている.また修験者の活動も無視できない.青梅やその周辺ではかつて修験者が各地にいてそれぞれ特定の信徒を持ち,村民の生活の中で指導的な役割りを果たしていたが,その影響もあって修験者の火渡りが各地で行われている.5月3日には青梅市塩船の塩船観音(塩船観音寺)で行われ,8月15日には市内青梅大柳にある青宝院で行われている.
天台宗の寺が,篤信者の多い元三大師(慈恵大師良源)をまつる場合がよくあるが,その生誕の日の正月3日は縁日として参詣客で賑わうのが普通である.多摩川沿いの地域では,昭島市拝島町の本覚院に俗に拝島大師と呼ばれている元三大師堂がある.この寺では毎年正月2日と3日が元三大師の縁日とされ「だるま市」が開かれる.中流域では調布市深大寺町の深大寺にも元三大師堂があり,3月3日・4日に「だるま市」が開かれ,大勢の参詣者で賑っている.「だるま市」は青梅の市内でも開かれる.この「だるま市」は寺には関係がなく,市内の住吉神社と市民会館の前で,毎年1月12日に開かれている.
四つの大鉦と1つの太鼓を高低をつけた一定のリズムで打ち鳴らす双盤念仏の行事も多摩川中流沿いに多く見られる.11月15日には世田谷区奥沢の九品仏浄真寺の十夜法要で,11月27日には世田谷区喜多見の慶元寺の十夜法要で行われている.また下流の大田区今泉(現在の多摩川2丁目)の延命寺では7月23日・24日の施餓鬼会と11月23日・24日の十夜法要で,河口に近い川崎大師平間寺では毎月21日の弘法大師の縁日と3月20日から22日までの正御影供で行われている.元は大田区西六郷の安養寺,川崎市幸区矢向の良忠寺などでも行われていた.
そのほか仏教行事の1つとして巡行仏の習俗が,主として下流域に分布している.巡行仏とは,霊験あらたかな仏像を信者の家に一泊させ,家から家と特回りして各地を巡回させるもので,宿(やど)になった家には大勢の信者が集まり.この仏像を拝礼するのである.
巡行仏で広範囲の地域を回るのは横浜市港北区下田町の真福寺の地蔵尊で,俗に「下田の回り地蔵」と呼ばれ,古くは江戸の市内から相模国の一円そして甲州にかけての広範囲の地域を巡回したといわれる.大正の末年でも東京都側は大田区・品川区・世田谷区・町田市・八王子市の区域,神奈川県側は川崎市・横浜市の区域から津久井郡にかけての村むらを,人の背に背負われて回ったといわれている.巡行の期間は毎月25日から翌月の22日までで,23日に戻り24日が縁日で寺にまつられた.この地蔵の巡行は1967年(昭和42)まで続けられている.
川崎市高津区末長の増福寺の延命地蔵は毎年8月14日から9月13日までの1カ月間と2月14日から3月13日までの1カ月間を近隣各村を回ったし,多摩区宿河原の竜安寺には「一夜地蔵」と呼ばれる巡行仏があり,毎月24日に寺に戻ったが,明治の末年に巡行をやめている.川崎市幸区小倉の地蔵尊は一日巡行で,毎年2月24日と7月24日に巡行したが,1941年(昭和16)に中止となった.
東京都側では狛江市和泉の泉竜寺の地蔵が巡行していた.この地蔵は子育地蔵といい,安永年間(1772−1781)から近郷の諸村を巡行し,江戸の市中にも講中があって,時々出張していた.この地蔵も一個所に一夜しか逗留(とうりゅう)しないので「一夜地蔵」と呼んでいた.毎月23日の夜寺に帰り,翌日はその縁日で近在の村むらから老若男女が集まり,露店が出て賑わったが,現在は巡行は行われていない.大田区鵜ノ木の光明寺にも回り地蔵があった.毎年2月16日から1週間,鵜ノ木周辺の諸村を回った.この地蔵は木彫の立像で,安産の利益があるといわれ,「安産腹帯地蔵」と呼ばれているが,現在でも2月16日の晩のみ鵜ノ木の家に泊って行事を続行させている.
ところでこの光明寺には浄土教五祖の一人善導大師の等身大の立像があり,この像もかつては巡行していた.この「善導様」の巡行区域は前記の「安産腹帯地蔵」よりも広く,東京の二十三区のほぼ全域に及んでいた.巡行期間は毎年4月14日の御忌(ぎょき),8月14日の施餓鬼,10月14日の十夜に寺に帰ってくるほか,年間通してであった.4月14日は講中が集まって大きな祭りが行われたが,第二次大戦を境に講はなくなり,巡行も行われなくなってしまった.
巡行仏にはほかに不動の像の巡行がある.川崎市高津区長尾の等覚院にまつられている神木(しぼく)不動は毎月29日が巡行に出て翌月27日に寺に帰り,12月は長尾方面,1月は神木方面というように,各村交互に近隣を回ったし,川崎市中原区市ノ坪の東福寺の不動尊も一日巡行を行ったが,1943年(昭和18)ごろ,中止されてしまった.