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大都市への人口及び機能の激しい集中は,大都市の過密化を生じ,その反作用として,従来の都市境域を越えた広い範囲への拡散を起こす.東京でも中心部は次第に飽和状態に達し,住宅・地価・生活環境などの面で転入することが困難になったため,東京の都下や周辺県への分散拡大が盛んである.人口についてみても,東京の中心部に人口減少の空洞を生じ,周辺に人口増加帯が広がる,いわゆるドーナッツ化現象がますます顕著になりつつある.この結果,都市問題自体も近郊へと拡大する傾向にある(参2).
東京大都市圏における都市化の動向を時期的に追うと,表8.1.1のように区分できる.第1期は1923年の関東大震災までで,山手線内に市街地が充填した時期である.かつての江戸以来の旧市街地を囲む周辺農村地域が徐々に宅地化した.この時期の交通は市街電車のほか,全国的な鉄道網及び都市間交通の蒸気鉄道などである.第2期は関東大震災から第2次大戦の終戦までで,山手線内部の旧市街地が焼失した結果,山手線外方の郊外地(現在は区部になっているが,当時は豊多摩郡,荏原郡などの町村)へ住宅地が拡大した時期である.このため業務地の都心部と郊外の住宅地が地域的に分離し,ホワイトカラーを主体とする郊外住宅地が成立した.この住宅地は山手台地の続きである東京の西南郊に顕著であったため,水田地帯で宅地化の遅れた東北郊との間に顕著な差異を生じた.住宅地の発展には郊外高速電車の発達が大きな力となった(図8.1.1).
第3期は昭和20年代で,大戦後の復興期に当たる.市街地が区部を充填し,都下及び神奈川,埼玉,千葉など隣接県へ拡大した.戦時中の戦災や疎開から復帰し,個人住宅が少しずつ建てられた.交通は車両の大型化,長大化が始まった.第4期は昭和30年代の高度経済成長期に当たり,都市化が急激に進展する.昭和30年に日本住宅公団(現在の住宅・都市整備公団)が発足し,各都県の住宅供給公社などとともに集団的な住宅建設,すなわち団地の造成が盛んとなった.民間の大企業もこれに加わった.団地は広くて安い土地をまとめて取得する必要があり,このため旧市街地から離れた飛地的都市化が顕著となった.また,早くから住宅化した西南郊は土地の余裕がなく,地価も高いため,宅地化のスピードが鈍り,土地に比較的余裕のある東北郊への進出が顕著となった.交通は車両の大型化,長大化が完成し,地下鉄,高速道路,バス網の発達が目立った.第5期は昭和40年代以後で,既成市街地の過密化による都市再開発,高層化が進展するとともに,郊外では単に住宅のみでなく,都市諸施設を同時に建設する大規模なニュータウンの造成が進められた.交通は新線(武蔵野線や京王,小田急の多摩ニュータウン乗入れなど)の建設,在来線の線増(総武線ほか)などが行われた.このように東京大都市圏の都市化は,次第に外縁部へ延びていく傾向が明らかである.