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多摩川流域の景観は年とともに激しい変容を遂げつつあるが,これを大局的に年代的に捕らえるために,年代を異にする地図を比較することは極めて有効である.戦前は陸軍の陸地測量部,戦後は建設省の地理調査所を経て,現在国土地理院が基本的な地図を作成している.
多摩川の流域は広大で,1枚の図幅には収まらず,5万分の1地形図によっても,三峰,丹波,秩父,五日市,上野原,青梅,八王子,東京西北部,東京西南部,東京東南部の10図幅にまたがる(図8.1.2).各図幅の作成年次は異なり,全部を同一年にまとめることは困難である.したがって,ほぼ同じころの年次をもつ図幅を集めて,明治後期・大正後期から昭和初期,昭和30年前後,昭和47年前後の4期にまとめたのが,図8.1.3,図8.1.4,図8.1.5,図8.1.6の地図である(参3).
これによると,明治後期では流域のほとんどが田園的な土地利用であり,多摩川の氾濫原では水田が広く,畑地がこれに付随してみられ,八王子・秋留の諸盆地では桑畑が分布する.それ以外の丘陵,山地及び台地の一部では樹林が卓越している.大正後期から昭和初期の地図をみると,下流部に市街地が広くなり,京浜工業地帯の連続市街地の発達がみられる.中流の山麓地帯では桑畑がかなり広くなり,当時の養蚕製糸業の隆盛をよく表している.昭和30年前後の図では下流部及び武蔵野台地の市街地化が著しく,山麓の桑畑は縮少して畑地に転換している.昭和47年前後の図では下流及び武蔵野は完全に市街地となり,さらに多摩川を越えて多摩丘陵に市街地が拡大している.多摩ニュータウンの造成による市街化がよく表れている.4枚の地図を通して田園的(農村的)土地利用から都市的土地利用へと転換していくありさまが明らかである.