1.4 多摩川梨
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1.4.4 梨栽培の経営形態

(1) 川崎市

 川崎市の梨栽培農家285戸(1976年果樹センサス)の梨園規模をみると,30a以上もった者はわずか61戸(21%),残る79%は30a未満の梨園しかもっていない.最も多いのは梨園10〜20a層で,全体の40%を占めている.反当たり100万円の収入があるとしても梨園のみでは自活できず,兼業を営むことになる.梨園経営者の年齢をみると50歳以上が63%を占め,梨園経営者は高齢化している.手っ取り早い収入の道は農地を転用してアパート・貸家を建てたり,駐車場にして不動産収入を得ることである.どこの農家でも月最低40万程度の不動産収入があり,中には100万を超える不動産農家も多い.極めてまれなケースではあるが,専業農家(事例M)と,第1種兼業農家(事例S),第2種兼業農家(事例IとF)の経営内容を示す.(表8.3.11 川崎市梨栽培農家経営主の年齢別数表8.3.12 川崎市多摩川梨栽培農家,経営の諸類型

 梨栽培専業でやっていくには,相当厳しい前提条件が心要とされる.最低60a以上の梨園,常時4人ぐらいの労働力,さらには人工交配と販売時のパートタイマー,生産物を売り切る販売システムである.梨栽培環境が悪化の一途をたどってきた背景から考えて,専業を継続するのは非常に強い意志が必要とされる.

 梨収入が主で不動産収入が従の第1種兼業農家は,川崎市全体では1〜2割しかないと考えられる.前述の不動産収入月40万円では,年間480万円の収入となり,これを上回る梨収入をあげるには最低50a以上の梨園面積を必要とする.その程度の農地をもつ農家は多いが,すべてを梨園にするにはちゅうちょがある.それは梨が永年作物であるため,いったん作付けしたら持続しなければ投資効果が得られないからである.しかし,梨栽培農家の後継者の就業状態をみると,285戸のうち162戸(57%)が農作業に就業していないように,確実な農業後継者が得られない限り,梨園の拡大は難しい.

 第2種兼業は,兼業(不動産業)収入のほうが農業収入よりも大きい経営形態で,川崎市の梨栽培農家の7〜8割がこのタイプである.労働力の消費具合や,土地利用率などからは,農業が主のように外見上みえるが,収入面からは逆である.月40万円,年480万円の不動産収入に対して,梨園からの収入は10a当たり100万円として,79%の農家の梨園面積は30a以下であるので,最高300万円程度で,不動産収入に及ばない.梨園の規模が小さかったり,息子が自営業やサラリーマンなどになって収入があると,梨園からの収入は農家収入の中で第3位になることもある.

(2) 稲城市

 稲城市も南部線の複線化などで都市人口が増え,1920年から1975年までの半世紀強の人口増加率は10〜20倍と,ほぼ東京西郊外縁市町村(府中市,町田市,日野市,立川市など)と同じ動きを示した.1980年の総世帯14,931に対し農家は465世帯(3.1%)と,農業のウエイトは小さい.農家465世帯のうち梨栽培農家は167戸(36%)であった.1梨栽培農家の平均梨園面積は23aにすぎない.1農家当たり経営耕地面積は35aで,1950年代の70aの半分になってしまった.地目別に農地減少率をみると,畑の減少率が最も大きく,都市化の前に最大の犠牲者となり,次に水田で,梨園は相対的に最も都市化への抵抗性が大きかった.

 梨は永年作物とはいえ周年労力を必要とし,集約経営であることには間違いない.梨栽培暦の概要は次のようである.

 1月梨棚の整理,2月施肥,3月施肥,4月袋かけ,5月袋かけ,6月田植・追肥,7月田植・追肥,8月下旬収穫,9月収穫,10月収穫,11月稲の刈入れ・裏作準備,12月整枝.

 2・3月の施肥は元肥に当たる.4・5月の袋かけは最も労働集約的な時期である.発芽を終わった1cmぐらいの玉の実に手作業で袋をかけていく.10a当たり長十郎は98〜75本栽培されており,1本に2,000個の袋かけをすると,10a当たり2,000×75個の袋をかけなければならない.1人1日熟練者で2,000袋かけるとしても,延べ75人が10a当たりに必要となる.袋かけは長十郎で1回,青梨系統では2回(1回はハトロン二重袋)かけ三重袋となるため,大きな労働力を必要とする.赤梨の袋かけの効果はみかけをよくするだけで味は減退する.

 6・7月の田植の後,梨に追肥が施される.出荷・即売用の籠・袋が搬入されて成熟期を待つ.

 8月下旬〜10月初旬までが梨の販売期でもう一つの労働ピークを迎え,直販などの場合に臨時雇を入れる場合が多い.パートタイマーは親戚や,周辺の奥さん連である.

 消毒防除は袋かけ前から12回前後行われるが,後から入ってきた住民への配慮から,梨園の周囲に農薬が飛び散らないようにネットを張ったり,洗たく物を汚さないように早朝に消毒を済ませたりする.あまり朝早くから農薬散布すると,騒音の苦情がでるなど,薬をまくのも自由にできないと農民は嘆いている.さらに都市住民の中に庭木にイブキ類を植える人がおり,このイブキは梨にとっての病害の赤星病をもたらす.1976年以来,川崎市ではフルーツパークから赤星病発生予防情報を出し,梨栽培者には有線放送を通じて農薬散布を周知徹底させている.

 川崎市農政課ではタマイブキやカイズカイブキの本数まで調べ,赤星病発生予防対策の農薬の無料配布を行ったり,「市民の皆様にお願い」のパンフレットを作製配布している.赤星病が発生すると落葉したり,果実が大きくならなかったり著しい減収をきたす.この病菌は冬の間はイブキ類に寄生し,春から夏にかけて梨に寄生して被害を与える.3〜4月上旬はアクチジオン水和剤1,000倍液(水10に10g)や,石灰硫黄合剤30倍液(水10に300cc)を樹木の内部まで十分散布する.

 梨は昆虫によって花粉交配されるものであるが,都市化の進展や,農薬の多量使用等によって昆虫も減少し,自然交配ができにくくなってきた.そのため,耳掃除用の綿毛を用いての人工交配が1969年以降行われだした.効果は確実であるが,天気のいい日に集中してやらなければならず,やっかいな作業が1つ増え,パートタイマーを雇わなければならなくなった.

(3) 日野市

 1974年当時,全市の平均経営耕地規模は60aであったが,梨栽培農家のそれは80aであることから,梨栽培農家は相対的に大経営であることがわかる.1980年の平均経営耕地規模は47aで,全体として耕地がかなりの速度で減少している.梨栽培農家の経営規模を梨の導入時と1974年時と比べてみると,36戸の平均で118aから80aへ約3割耕地を減少している.しかし,梨園面積は導入時は平均16aであったが,1974年には22aと増大させている.梨園率は5〜70%程度で,耕地面積とは反比例の関係にある.梨園面積は5〜55aで,梨園率の平均は30%程度である.梨栽培農家の平均像は梨園23a,水田30a,畑25a,計78aであった.1980年の平均経営耕地は47aに減少したほか,78戸(全農家692戸の9%)梨栽培農家の平均梨園面積は21aで,梨園面積も減少し始めた.

 新興梨産地日野の経営類型を作物結合からみると,梨導入前は米・麦・陸稲を基幹として,それに各農家の事情によって野菜・桑・果樹などが組み合わさった複合経営であった.梨が導入されてからは梨栽培農家は3つの作物結合の類型に分けて考えることができる.

 @梨+米,A梨+野菜,B梨+米+野菜.

 作物の組み合わせを経営規模との関係でみるとどうであろうか.1ha以上層は米・野菜・植木・花木・梨以外の果樹を組み合わせた総合的複合経営が多い.規模が大きいため機械化によって水田経営は省力化できる.1ha〜50a層は,Bの梨+米+野菜タイプが多い.50a以下層は第2種兼業ばかりで,@かAのタイプで,米・野菜ともに自給用で,梨が商品作物として相対的にウェイトが高くなっている.



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1.4 多摩川梨