2.5 青梅林業の施業方法
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2.5.5 運材

 伐出された木材の集材は,近世期には日用によって,土修羅(つちしゅら)・修羅(しゅら)・桟手などの方法で谷川に集められた.近代になって木馬(きうま)(橇(そり)ともいう)という搬出法が導入された.これは紀州から伝わったと考えられているが,5〜10%の勾配に適し,1回に3〜4石運搬できた.また,長大材は,青梅市北部では1900年ごろに2連式木馬によって搬出したが,その影響は大きかった.木馬はおよそ2kmが最長距離であった.第二次世界大戦後,急速に普及したのが架線で,秋田・静岡から入れたと伝えられる.これは前述の搬出法より能率がよく,経費も少額ですんでいるが,1960年ごろから集材機が導入されて,全幹集材が行われるようになった.それは8〜15馬力,特に10馬力以下が多いが,伐採地点で玉切りを行う必要がなく,長大材のまま搬出できるので,注文生産が可能になった.

 明治以降になっても東京への運材は筏によっていたが,1891年(明治24年)に羽村の取水堰が改修されたため,多摩川本流の水量が減じて筏流の費用がかさみ,相対的に素材生産者の取得する利益が減じていった.そして,1889(明治22年)には甲武鉄道(現在の中央本線)が立川まで開通し,さらに1894年には青梅鉄道が立川−青梅間で営業を開始するなど,運材過程に大きな変化がもたらされた.このため筏流は明治末期以降次第に減少し,大正10年ごろは全く衰退し,以後は鉄道・トラックによる運材へと変化した.



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