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1979年の工業統計によれば,多摩川流域には18,039工場あり,東京・神奈川両都県の14.7%,全国の2.4%,工場が分布している.また,従業者数は393,596人,出荷額は約9兆円で,それぞれ東京・神奈川両都県の22.8%及び27.3%を占めている.東京・神奈川を中心とする東京湾岸は,明治以降の工業化,とりわけ第二次世界大戦に向かう戦時経済のなかで成立した京浜工業地帯であり,多摩川の流域もまた京浜工業地帯の枢要な一部分である.
京浜工業地帯は,最大の城下町江戸の伝統と新政府の首都としていち早く移入される近代工業が,民需・官(軍)需のために発展する東京と,その近代技術や新しい工業のための機械や原料が輸入される港・横浜をつないで発展したものである.
両都市の間は1872(明治5)年の鉄道開通以降も遅くまで農村や漁村が残り,多摩川下流の大森・蒲田や川崎にも工場が立地して,一つの京浜工業地帯に連坦化されていくのは1910年代以降であり,1927年の京浜運河開削や,1937年におけるいすゞの大森立地,あるいは川崎における日本鋼管の高炉建設以降である(参42).そして,第二次世界大戦によって壊滅的打撃を受け,戦後の復興期は阪神工業地帯のほうが優位になったが,日本経済の高度成長期にはいると,再び京浜工業地帯は全国最大の工業地域に発展し,その範域も,三多摩から埼玉県・千葉県へと「の」の字回りに拡大した(参43).多摩川流域は,京浜工業地帯の中心となる集中地域の中央から外周へ向けて伸びており,京浜工業地帯が拡大する初期の(第二次世界大戦中または後の)中心地域であった(参44).
多摩川の河口に近い東京側には,多数の小規模な金属・機械工業が集中して,京浜工業地帯の1つの核となる城南地域を形成し,川崎側には比較的規模の大きい機械工場や製鉄所・石油化学工場が立地して,現代資本主義の頂点を形成している.
多摩川の下流地域5市区には13,231工場もあり,39万人の人が働いて9兆円の生産をあげており,流域工業の70〜75%(従業者数で71%,出荷額で75%)を占めている.とりわけ大田区の工場数は圧倒的多数で,8,318工場,流域工業の実に46.1%を占めている(出荷額では16.2%).それに対して川崎市は,工場数では17.9%(3,233工場)しかないが,出荷額は流域工業の55.2%(49,387.1億円)を占めている.
いずれにせよ多摩川の流域では,下流の工業分布が厚く,上流へいくに従って薄くなっており,中流地域11市町で工場数の21.4%(3,864工場),出荷額の22.5%(20,119.7億円),上流地域7市町村の工業分布は工場数で5.2%(944工場),出荷額で2.3%(2,092.4億円)を占めているにすぎない.特に工場分布の傾向をみると,下流の大田・川崎・世田谷へ格段に多く集中しており,狛江・調布から羽村・秋川までの中流地域では各市町に大差のない分布がみられ,八王子と青梅だけが突出して多く,奥多摩・檜原・丹波山・小菅には非常に少ない.八王子・青梅に工場分布が多いのは,近代以前から繊維工業が発達していた名残りであり,それを踏み台にして,周辺市町村よりも近代工業(とりわけ機械工業)が発達しているからである(なおここでは,多摩川の源流地域ではあるが,産業の中心地域が甲府盆地側にあって性格の異なる塩山市は統計上これを除外して,考察しないことにした).(図8.3.20 京浜工業地帯の市町村別工業出荷額分布)