3.2 上流地域の鉱工業
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3.2.3 木材工業の変化

 多摩川上流のような山村地域の工業の1つの特色は,木材工場が多いことである.丹波山・小菅はもとより,檜原・五日市・日の出では全工業中木材工場が最も多く,従業者数も多い(日の出は土石,五日市は精密機械工業の従業員数が最も多い).(表8.3.32 多摩川上流域の木材工場数の変化

 多摩川の上流地域は,江戸時代より木材の生産が盛んであり,青梅が木材の集散地となって,青梅材とか青梅林業と呼ばれた.青梅材は西川材(名栗川流域)や高麗材とともに江戸地回り荷の重要な一部分であった.しかし,それらの木材は原木のまま「川流し」や筏,馬力によって運送された.

 また,交通不便な山村では,木地加工や下駄・しゃくし・箸など,加工して軽量・高付加価値化されるものも生産された.特に奥多摩町日原の白箸製造は江戸時代から盛んで,第二次世界大戦直後ぐらいまで続いた.これは東叡山寛永寺の輪王寺宮一品親王が京都から帯同した御箸師によって,一石山付近のミズキを原料として作らせたものであり,徳川幕府は親王家に白箸の使用を願い出たが許されず,「やなぎ箸」と名を代えて使用し,一般にも普及した.それらはいずれも山村林家の家内副業であり,江戸時代には仕上げが旗本・御家人の手内職にもなったというが,昭和の初めから箸突機が利用され,サワグルミが多く原料になった(参58).

 そして,木材工業は明治になって道路や鉄道などの陸上交通機関が発達し,明治30年代から水車動力が利用されるようになると,筏流しの集材地であった青梅市の川井や古里に製材工場が発達した.さらにその後,氷川や小河内にも製材工場が建設され,特に1930年の氷川発電所建設以降は,電力と道路交通の普及発達により,より上流の地域でも製材工場が立地できるようになった(参59).

 第二次世界大戦以後は,戦災復興のために木材の需要が拡大し,製材工場も急激に増え,山林も乱伐された.その結果,急激に原木が不足し,高度成長期には輸入原木を搬入して加工したが,それも労働力不足や原木高,工賃高によって行き詰まり,1970年代からは生産が減少するばかりでなく,青梅や奥多摩の工場数は減少に転じた.しかし,秋川流域や丹波山・小菅では依然として木材工業が盛んであり,工場数も微増を続けている.

 ことに日の出町大久野地区は全国でも数少ない木塔婆の産地であり,26軒で年間250万枚3億円の生産を行っている.その起源は元禄年間(1688〜1703年)といわれ,羽生文右衛門が伊勢参りの帰途,三河国(愛知県)から江戸へ向かう馬の背にモミの木塔姿があるのを見つけ,帰村後,生産を開始したという.現在は,東北地方から移入するモミ材のほかにスプルスなどの米材も利用して生産し,東日本一円へ移出している.また,ここには棺桶を生産する工場もある(参60).



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