3.3 中流地域の工業
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3.3.3 コンクリート製品工業

 コンクリート製品工業は,多摩川と関係して中流地域に多い.特に調布から青梅までの間に多く,奥多摩・檜原にはない.以前は多摩川で砂利を採取し,それを利用したが,1964年から採取が禁止され,岡砂利あるいはその他の河川砂利が利用されるようになった.しかし,それでも河川敷は砂利の洗浄・選別やコンクリート用の用水を得るのに便利であったが,それも1965年ごろより厳しく制限されるようにになって,コンクリート製品工場は,堤外に隣接して立地するようになった(参71).それは地下水をくみ上げたり,砂利を野積みし,コンクリート製品を天日乾燥する広い用地が得られるためであった.しかし,それもままならなくなって,コンクリート製品工場の多摩川に沿った遡上がみられる.

 コンクリート製品が普及するのは関東大震災以後のことで,そのころの数少ない工場の一つに羽田コンクリートがあった.工場は海老取川に面した糀谷で,1926年に創業した.砂利は六郷川の河口近くで取れるものを船で搬入し,セメントも川崎の浅野セメントから搬入し,U字溝などの製品も船で東京方面へ搬出された.そして1935年には立川飛行場へ納品するために分工場が日野に造られ,多摩川の砂利を利用したが,次第に全生産能力が日野に移った(現,羽田ヒューム管).そしてコンクリート製品工業が本格的に発展するのは第二次世界大戦以後であり,調布・府中を中心に新しい工場の立地が相次ぎ,羽田コンクリートも1947年に是政に新工場を増設している(参72).

 1966年のコンクリート製品工場は,府中を中心に立川や昭島・青梅にも拡がっている.しかし,1981年には依然として府中に多いながら,調布・日野・立川の工場数を減じ,昭島より上流の青梅・秋川,あるいは八王子の工場数が著しく増加した.このようにコンクリート製品工場の立地が遡上するのは,多摩川をめぐる立地条件の変化もさりながら,大都市東京の範囲,すなわち需要地域が拡大したことと,大型トレーラーや道路条件の変化にもよるところが大きい.(図8.3.26 多摩川中流地域のコンクリート製品工場の分布変化



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3.3 中流地域の工業