3.3 中流地域の工業
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3.3.4 自動車工業と電機工業

 多摩川の中流地域の工業のもう1つの特色は自動車工業と電機工業の多いことであるが,これは昭和の初めごろから始まっており,多摩川下流地域の京浜工業地帯が発展して過密化したことと,この地域に立川飛行場などの陸軍施設が建設されたことによるものである.立川飛行場は1922年(大正11)に首都防衛の陸軍航空大隊用地として,所沢(1915年)に次いで建設され,1931年(昭和6)に羽田飛行場ができるまでは民間飛行場としても使用された.1937年には府中に燃料廠ができ,39年には調布飛行場と福生飛行場(現,横田基地)が開設されている.

 これに伴って,中島飛行機が1924年に荻窪へ工場を建設したのを始め,1929年には後の立川飛行機となる石川島飛行機,1936年には昭島に昭和飛行機,1937年に中島飛行機の武蔵野工場(三鷹),1938年には大和に後の日立飛行機となる東京瓦斯電立川工場,1941年に中島飛行機の多磨工場(田無)が開設された.このようにして,立川周辺には航空機関係工場が集中し,1941年の立川市には主なものだけでも14〜15社の航空機と関連部品工場が立地し,その従業者数は1万人を越えて,飛行機の月産大型5機,中型10機,小型85機の生産能力を備えていた(参73).

 また,府中には1938年から日本製鋼所の建設が始められ,1940年から戦車の製造を開始し,東芝は1941年から車両や重電機製品の生産を開始し,同年日本小型飛行機・府中光学機械(どちらも今はない)なども開設された.こうして府中にも多くの徴用や学徒勤労動員,朝鮮や台湾の労務者が集まり,電機の関連部品工場もいくつかできた(参74).日野では1936年に吉田時計(現,オリエント)が設立され,1937年に小西六のフィルム工場が新宿から移転してきたが,1938年にはいすゞの用地買収が行われて,1941年から軍用ディーゼルトラックの生産を開始(現,日野自動車),富士電機も神鋼電機(現在,移転)も1943年から特殊兵器や航空機器を生産している(参75).

 ところが第二次世界大戦が終わり,これらの軍需工場は民需に転換し,電機工業は転換しやすいとしても,航空機工業は自動車工場とそのほか金属加工や機械一般の諸工場へ転換していった.このようにして多摩川の中流地域には,戦前すでに自動車工業と電機工業の発達する基盤が造られていたわけであるが,昭和30年代に入って日本経済が復興し高度成長期に入ると,再び京浜工業地帯の過密が問題となり,府中の日本電気や八王子の沖電気のように城南や城西町区からの立地移動がみられるほか,戦前に杉並や武蔵野・三鷹地区に立地していた旧軍需工場が付近の住宅地化に伴って再移動するものもみられるようになった(参76).(図8.3.27 多摩川中流地域における主要工場の立地移動

 このような傾向を助長させた原因は,この地域の側にもあった.それは日野・八王子やあるいは羽村における工業団地の造成である.日野では1959年に八王子とともに市街地開発地区の指定を受けて首都圏の衛星都市となることになり,1960年から平山台の土地区画整理を行って工業団地を造成し,1962年から東芝や富士通などの電機工場と,日野自動車の下請である千代田自動車や帝人の研究所など約15社が立地した.また,八王子では1957年に市街地開発地区の指定を受けて,東浅川や北八王子などの工業団地を造成した.東浅川工業団地は1961年に立地した沖電気を中心に約53万m2あり,オーヤラックス・佐久間製菓など15社ある.東浅川に近接した狭間工業団地は約43万m2あり,蛇の目ミシン・佐藤製薬など17社のほかに,国立東京高専が約9.5万m2を占めている.北野では日本水産をはじめとする工業団地の計画が浅川沿いに総合卸売センターや花木・鮮魚・青果物の市場などを含んで,明神町に及ぶ広域的な第1種特別工業地区の計画に発展し,駅前は近隣商業地域を中心とする区画整理事業が進められることになった.セブンアップを中心とする叶谷工業団地は小さく(17万m2),芝電を中心とする高倉工業団地の一部は都営住宅や学校用地に変身したが,八王子で最も機械工業が集中したのは,1963年からオリンパスや小西六など20社が立地した北八王子工業団地である.

 北八王子工業団地は日本住宅公団によって造成された珍しい例であるが,未整備の叶谷団地を除いてそのほかの八王子4団地は,東京都新都市建設公社によって区画整理され,工業用地が造成されたものである,新都市建設公社では,八王子・日野地区のほかに,町田・福生・羽村・青梅地区で事業を行っており,福生の加美平には住宅供給公社の住宅が建設され,羽村の神明台,青梅の小作台には工業用地が造成され,羽村に日野自動車,青梅に東芝・電算機工場が建設された.日野自動車は従来の日野工場のほかに1963年,乗用車専門工場を建設して独自車種の生産を企図したが,1966年からトヨタと提携し,トヨタの大衆車(1,000ccクラス)の東日本生産拠点になった.

 このように大規模工場が工業団地等に誘導されたほか,独力で京浜工業地帯から親工場とともにこの地域へ立地移動してきた中小工場や,戦前の航空機工場や電機工場から独立して戦後発展した中小工場もあり,この地域にも大規模組立工場の下請となる中小規模の部品工場が発展するようになった.例えば,自動車工業や電機工業の多い中流地域5市(府中・立川・昭島・日野・八王子)の従業員規模別工場数をみると,300人以上の大工場は1960年から1974年に至る14年間に12工場から27工場へ125%増え,30〜299人の中工場は76工場から164工場へ116%しか増えていないが,29人以下の小工場は293工場から1,288工場へ340%増えている.特に八王子・昭島などの外周部に大工場の増加が多く,府中・日野などの戦前から工業立地のあった地域には小工場の増加が多く,組立工業の域内生産体系が整備されつつある(参77).(表8.3.34 中流地域5市の金属・機会工場の規模別構成変化



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