4.1 多摩川流域のレクリエーション地の発達と分布
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第4節 レクリエーション

4.1 多摩川流域のレクリエーション地の発達と分布

4.1.1 レクリエーション地の発達過程

 多摩川は関東山地南部山梨県塩山市の笠取山に源を発し,中流部で秋川・浅川などの支流を合わせながら南東流して,東京湾に注ぐ1級河川である.その流域面積は1,240km2で,山梨県・東京都・神奈川県の1都2県にまたがるが,その多くは東京都の西郊を流域としている.

 上流部は一大森林地帯をなし,その大半が秩父多摩国立公園区域に入っていて,首都圏の絶好のレクリエーション地となっているほか,中流から下流部にかけても川幅が広がって広い河原を作り,今日では河川敷として各種のレクリエーションに利用されている.上流から中・下流に至る流域のレクリエーション利用形態には,地域的差異がみられると同時に,当然のことながら時代に対応して大きな違いが認められる.以下にレクリエーション地の発達過程を概観することにしたい.

 多摩川でのレクリエーションとして,江戸時代からアユ漁が盛んで,歴代の将軍もアユ漁りを楽しんだといわれ,江戸名所図絵などにも紹介されていた(参88).明治時代に入って一般の人々にも多摩川のアユ漁の遊びが広められ,明治中期の遊覧案内書(参89)には次のように記載されていた.すなわち,「……多摩川鮎狩りの遊びは避暑を兼ねての一興なるべし,扨て其場処を挙ぐれば青梅近傍より下流の川筋にて,拝島,立川,日野,一の宮(府中近傍),登戸,二子等の名所に於て為すを得べけれども東京より行く人には立川,日野の二ケ所を最も便利の地となす.……」とあり,甲武鉄道(中央線)の便を強調して立川・日野の両漁場を推薦してしる.さらに駅前の案内所を通じて川原の本店に着けば,「……此家にて鮎業一切の案内をなし其奥座敷にては捕り得たる鮎を直ちに調理して客に進め又屋根船を雇ふて之に打乗り漁夫の漁獲するを見ながら酒を酌まんとすれば此舟中へも料理の持込みをなして客に満足を与ふるの待遇をなせり……」と記している.

 当時の料金は次のようであるが,用意された各種の漁法によって異なっている.

 一.鵜飼(引網付漁師三人添)   一組 金一円七十五銭

 一.羽網(後網は漁師一人添)   一組 金二円七十五銭

 一.筌(引網付漁師二人添)    一組 金一円二十五銭

 一.投網(漁師一人添)      一反 金   六十銭

 一.友釣(漁師一人添)      一人 金   五十銭

 一.屋根舟(舟夫一人道具付)   一艘 金一円

 以上のように,客の好みに応じて鵜飼をはじめ各種のアユ漁が楽しめるようになっていた.

 また,対岸の百草園は,明治初年慈岳山松達寺が神仏混合の廃止により焼失して廃寺となったことから,1885年(明治18)百草村出身の横浜の貿易商がこれを買い受け,庭園を再興して造園したものである.明治中期には小金井の観桜とともに桜の名所ともなり,避暑にも適していて休憩所,料理店の他に経営者の別荘が一般客の宿泊施設としても利用されていた.

 一方,多摩川流域では上流の御岳山御岳神社と中流の高尾山薬王院の歴史の古い信仰の山があり,いずれも山頂に信仰登山集落が形成されている.明治中期ごろには御岳神社では頂上に約30戸の御師集落があり,講中の信者を宿泊させていたが,一般の人々の宿泊は講中の紹介を必要としたのであり,いまだ観光レクリエーション地として機能していなかった.高尾山においても一般客用の宿泊施設がないので坊に宿泊せざるを得ず,当時の案内書では日帰りをすすめている.いずれにしても,緑豊かな山中に存在するこうした社寺が,レクリエーション場としても広く紹介され始めたのである.青梅市の吉野梅林も青梅鉄道の開通を契機にすでに紹介されており,さらに上流の小河内村原には小河内鉱泉(鶴の湯)があって,湯治客や避暑客も多かったが,他県の温泉地の発展に伴って衰弱してきたのである.

 大正期から昭和初期にかけては,私鉄の交通網が形成されて沿線の開発が進む一方,大都市の成長と軌を一にしてレクリエーション客も次第に増え,レクリエーション形態もより多様なものとなってきた.多摩川それ自体の利用については,大正末期ごろから川原で水泳を楽しむ人々が各地でみられるようになり,1960年(昭和35)ごろに遊泳禁止となるまでは格好の水遊びの場であった,また,沿川各地でボート営業やアユ漁なども行われていた.

 この時期に,特に電鉄会社の経営する遊園地が沿岸に数多く開設されたことが指摘される.京王電車多摩川駅南100mの地点に,同会社が経営する多摩川遊園・京王閣があり,演芸場・大浴場・各種運動施設・動物園・貸船などを備えた,いわゆるヘルスセンターとして利用されていた.東横電車玉川線には玉川電鉄経営の玉川遊園や玉川スポーツランドが開設された.後者は多摩川に沿って児童園・テニスコート・プールなどが設備され,ボート遊び・魚釣り・ピクニックの好適地であった.目黒蒲田電車の多摩川園や京浜電車の花月園も同種のもので,当時の電鉄資本が沿線において遊園地経営を活発に行っていたことを知り得る.

 その一方で,吉祥寺の井の頭公園のように公的なレクリエーション地も整備されてきた.この公園は旧帝室御用林であったものを1913年(大正2)に東京市へ下賜され,1917年(大正6)に開園したもので,小動物園や水生物館,さらに児童遊園地も備えており,自然環境を生かした東京唯一の広大な郊外公園をなしていたのである(参90).

 次に自然公園におけるレクリエーションをみると,まず高尾山と御岳山には,それぞれ1927年(昭和2)と1934年(昭和9)にケーブルカーが敷設され,登山は便利となった.高尾山については,旅行案内書(参91)に「……黄塵を去ること僅か一時間半にして清澄な山の気分にひたり一日ゆっくり楽しむことが出来るので春夏秋を通じて修学旅行や子供連れの遊山地として喜ばれて居る……」と記されていて,大正天皇を祀った近接の多摩御陵とともに好適な日帰りレクリエーション地へと変容してきたのである.御岳山では,すでに山頂の御師の宿泊施設が一般客に宿泊の便を与えるようになっていて,レクリエーション地としての機能を強めてきたことが明らかとなる.

 また,家族向けの多摩古城趾ハイキングコースとして,立川−羽村−羽村堰−清厳院橋−多摩橋−高月橋−高月城趾−霞神社・滝山城趾−八王子が設定されていたり,御岳神社を中心とした奥多摩ハイキングでは,スギ・ヒノキの美林が続く尾根伝いのコースや奇岩・モミジの渓谷コースなど多種のものが案内されており,ハイキング・キャンプ地が発達してきた.

 それは1935年(昭和10)に東京都区域において初めて自然公園計画及びその施行が行われたことに関係している.すなわち,同年に東京緑地計画協議会が生まれ,市民の保健・休養及び体育などに必要な施設として,12の景園地・行楽道路を決定したのである.大島と狭山の景園地を除いた残り10の南多摩・高尾・滝山・秋川・御岳・下多摩・上多摩・日原・南武蔵・武蔵野景園地は,いずれも多摩川流域にあり,今日の秩父多摩国立公園や都立自然公園に引き継がれている.この中で御岳・高尾については,1936年(昭和11)〜1937年(昭和12)度に府費をもって逍遥道・展望台・野遊場・遊歩場・天然及び産業教材園などの自然公園施設が設けられ,別に東京府観光保勝委員会によってヒュッテ・バンガローなどのレクリエーション施設に助成がなされたのである.

 第二次世界大戦後は河川敷が一時的に食糧増産のために農耕地に変わっていたが,1952年(昭和27)には再び運動場やゴルフ場に転換され,1966年(昭和41)には一般運動場41,公共団体の運動場20,ゴルフ場6,自動車練習場3,飛行場及び競馬練習場2など376haがレクリエーション地として利用されるに至った.しかし,一般住民の利用の場が少なかったので,東京オリンピック開催を契機に河川敷の開放が図られ,今日公共団体の公園・運動場が約70%を占めるようになった.ここに多摩川河川敷と沿岸のレクリエーション利用が活発化してきたのである.

 また,沿岸では1953年(昭和28)に東京都が大田区に多摩川台公園を開設し,1957年(昭和32)には砧・神代・小金井の旧緑地を大規模公園として開放した.特に砧公園は1955年(昭和30)に都営パブリックゴルフ場を造り,東急電鉄に経営を委託してきたが,契約改更の10年目を機に芝生公園とし,1966年(昭和41)にファミリーパークとして開放されて都民に親しまれるようになった.さらに1958年(昭和33)には,地元七生村長より28.7haの土地寄付を受けて都立多摩動物公園が開園され,1961年(昭和36)には神代植物園も開設されるなど,各種のレクリエーション施設が充実してきた.その他に民間資本の郊外遊園地やゴルフ場なども丘陵上に数多く発生した.

 多摩川上流地域は1950年(昭和25)に秩父多摩国立公園に指定され,同年,都立自然公園条例により都立自然公園も指定されて観光開発が進んだ.さらに1967年(昭和42)には明治100年記念事業として明治の森高尾国定公園が指定されて,自然公園の整備と保護が進められている.1957年(昭和32)に完成した小河内ダムは,新たな観光資源である奥多摩湖を発生させ,湖畔には奥多摩郷土資料館や駐車場・園地が整備された.五日市町の青少年旅行村や日の出町の自然休養村など公的な観光開発が進む一方で,民宿や観光農園・マス釣り場なども各地に成立した.1973年(昭和48)の奥多摩有料道路の開通は,多摩川源流と秋川源流との連絡をスムーズにし,流域山村地域の観光的変貌に多大の影響を与えたといえよう.



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