4.4 下流地域のレクリエーション地
前のページに戻る 次のページを見る 目次に戻る 表紙に戻る

4.4.2 遊園地と公園・緑地

 多摩川下流地域には民間企業の経営する遊園地が多い.調布市の多摩川沿岸には京王電鉄の京王遊園・京王百花苑がある.この付近の多摩川の川原は,水量が豊富であるとともに砂も多く,絶好の水泳場ともなっていて,対岸の稲田堰のサクラの花見とともに多くのレクリエーション客でにぎわっていた.大正期には夏季に川原の水泳客は1日5,000〜6,000人,多い日は8,000人に達したともいわれ,春季には夏季よりも少なくなるとはいえ,アユ釣りや花見客で1日3,000〜4,000人を数えた.

 それゆえ,1913年(大正2)に京王電鉄が沿線開発の1つとして京王閣遊園地と東京菖蒲園(現京王百花苑)を開設したが,第二次世界大戦後は京王閣は競輪場に変わった.そして1956年(昭和31)には新たな京王遊園を開業した.この遊園地はプールを設備していたので,川原の汚染が次第に進み多摩川での遊泳が禁止されるにつれてその利用者が増えた.1963年(昭和38)に百花苑は6.8万人,京王遊園は37.4万人のレクリエーション客を集めたが,遊園地は1971年(昭和41)には25万人へと減少した.

 多摩川の対岸,川崎市の多摩丘陵上に46.8haの広大な土地を有する読売ランド遊園地がある.海水水族館をはじめ,水中観劇場・スキーセンター・フィールドアスレッチックなど各種のレジャー施設が整っていて,年間160万人もの人々を集めている.

 小田急電鉄沿線では,川崎市長尾の丘陵上に小田急電鉄の経営する向ヶ丘遊園がある.小田急線の向ヶ丘遊園駅から専用モノレールが架設されていて,多摩川の梨園を眺めつつ数分で遊園地に着く.33haの丘陵上に花を中心とした庭園,特に800種2万本の大バラ苑はこの遊園地の目玉商品であり,その外に世界各国の庭園・マンモスプール・運動場・各種の遊技施設などが集まっていて大レジャーランドをなす.郊外遊園地として交通の便はよく,年間100万人を越える家族連れでにぎわっている.

 次に公園・緑地についてみると,左岸の東京側では狛江市の野川緑地公園や世田谷区の砧緑地公園(砧ファミリーパーク)・大蔵運動公園・馬事公苑・玉川野毛町公園・等々力渓谷児童公園,大田区の多摩川台公園など緑豊かでよく整備された公園が多摩川に沿って続いている.砧緑地公園は都営ゴルフ場を芝生公園として開放したもので,サイクリングコースもある.玉川野毛町公園中に都指定史跡の野毛大塚古墳があり,ここから多摩川にほぼ平均して御岳山古墳・菰塚古墳・八幡塚古墳・宝来山古墳など前方後円墳・円墳の古墳群が連なっていて,古代豪族をめぐる歴史散策コースともなり得る.

 川崎市でも公園・緑地の整備に力を入れている.1980年(昭和55)の公園・緑地関係予算は用地取得費が多額にのぼるので59億円にもなっている.1971年(昭和41)ごろに西北部の開発に伴う自然破壊を抑止せよとの住民運動に端を発し,市民の緑への要求が高まり,1973年(昭和48)には「川崎市における自然環境の保全及び回復育成に関する条例」が制定されるに至ったのである.

 稲田堤にある稲田公園には,1980年(昭和55)国際児童年を記念して210m2 の流れを造り,子供たちの水遊びの場として好評を得た.市内最大の生田緑地は,1941年(昭和16)に計画されたものであるが,集中的に公共投資がなされて2,000株の花しょうぶ園や各種の自然植物園が造成され,1967年(昭和42)には市営日本民家園が開設された.これは飛騨白川村の合掌造り民家や千葉県九十九里浜の網元の民家など,全国から国指定重要文化財クラスを含む18の民家が集められ,配置されたものである.

 生田緑地の南に東高根森林公園がある.この公園区域は1968年(昭和43)ごろに住宅団地建設用地に計画され土地を調査したところ,弥生時代の集落跡が発見され,同時に周囲のシラカシ林が学術上貴重であることから,これらを文化財に指定して一帯10.2haを県立森林公園としたのであった.野外研究路や湿生植物園,ピクニック広場などもあり,近くのツツジ寺として有名な等覚院,アジサイ寺の妙楽寺,600本のサクラが見事な緑ケ丘霊園などとの結合も容易であり,ハイキングに適する.

 さらに多摩川を下ると,中原区の川岸に31.7haもの等々力緑地が造成されている.昭和初期の多摩川の河道整備によってできた半円状の旧河川敷地で,1941年(昭和16)に緑地として計画された.1957年(昭和32)から用地の取得が始められ,1972年(昭和47)の政令都市指定を記念して市民の憩いの場,ふるさとの森として整備することになった.コイ・フナ・ハヤ・などを釣るフィッシングセンター,野球場・サッカー場・陸上競技場・テニスコート・プール・児童公園などが緑豊かな植栽の中に配置されて完成しており,将来は56.4haまで拡大する計画である.そして多摩川河川敷や御幸公園を含む一帯285haを風致地区・鳥獣保護地区に指定し,水辺の鳥を集めるよう工夫されている.また,ヤマシマウマのいる夢見ケ崎動物公園や厄除の川崎大師平間寺,大師公園や河口に造成された海のみえる浮島町公園などの他,電気・機械の展示解説をした東芝科学館も無料で開放されている.

 市当局は,これらの観光レクリエーション資源,観光レクリエーション施設を結びつけた遊歩道事業を進めており,ふるさと川崎の再考の場として位置づけている.すなわち1978年(昭和53)には「多摩自然遊歩道4.2km,2〜3時間」のコースを,1979年(昭和54)には花と寺をめぐる「長尾の里めぐり遊歩道5.5km,3〜4時間」,1980年(昭和55)には川崎の農業用水として意義の深い二ケ領用水を中心とした「多摩川のみどりと二ケ領用水のルーツを訪ねる遊歩道6km,4〜5時間」,岡本かの子の文学散歩を主とした「せせらぎと親子広場,文学碑や彫像を訪ねる遊歩道8km,5〜6時間」,そして川崎大師と東海道五十三次の六郷の渡し跡,ウラギクなど多摩川堤の塩性植物群落やカーフェリー港のある浮島公園に至る「大師道よりリバーサイドコース6km,4〜5時間」などを設定し,パンフレットを作ってその利用を促している.

 このように,川崎市では市長をはじめとし市民ともども全市緑化大作戦に取り組んできたのであり,工業地帯と公害のイメージの強い川崎からの脱皮を図りつつ,環境のよい地域社会を築くために積極的に公園・緑地造りを展開しているのである.

 次に多摩川下流の河川敷におけるレクリエーション地とその利用についてみよう.図8.3.42のように東名多摩川橋から大師橋に至る間は,ほとんど連続してレクリエーション地となっている(参108).特に公共団体の運営する野球場・サッカー場・テニス場などの運動場と公園・緑地が広く整備されている.これは1964年(昭和39)の東京オリンピックを契機として河川敷が一般住民に開放されることとなったからで,世田谷区二子玉川緑地は19haもの広い空間を占拠しており,大田区六郷橋近くでは,29haの大運勤場や7haの緑地が広がっている.ゴルフ場は川崎市側に集中している.

 川崎市では,1966年(昭和41)に多摩川河原橋から大師橋までの多摩川右岸の延長25km,面積514haの計画決定をした.1966年(昭和41)〜1973年(昭和48)の第1次開放,1974年(昭和49)以後の第2次開放に応じて,野球場24面(うち少年野球場12),サッカー場2面,競技場3面,バレーコート2面,広場17,芝生広場18,子供の遊び場14,自転車道1,流れ1などを77.5haにわたって整備したのである.川崎市の多摩右岸の堤防には長大なサイクリングロードが完成していて,未整備区域のある東京側に比べてその利用者が多い.

 ここで河川敷利用の実態をみると(表8.3.41),春季5月3日(祭日)の利用者数が夏季8月5日(日)に比べて3倍も多く,その利用形態は地区ごとの施設整備状況に対応して異なっている(参109).運動関係では一般的に野球とサイクリングの利用が多く,野球は夏にその比率が高まっている.丸子橋〜大師橋間ではゴルフ場利用者が多くなる.

 多摩川の花火大会は昭和初期より夏の風物詩として市民に親しまれてきた.現在は7月中旬に川崎市制を記念して,高津区二子多摩川河川敷で開催される.1,000発以上の打上げと仕掛け花火が夏の夜空を彩り,観衆は約40万人に達すると推定されている.8月中旬には登戸でも花火大会が開かれ,多摩川の夜がにぎわうのである.



前のページに戻る 次のページを見る 目次に戻る 表紙に戻る 文頭に帰る
4.4 下流地域のレクリエーション地