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東京の膨張と交通の発達によって,多摩丘陵の開発も次第に行われた.特に武蔵野に開発の余地が少なくなってきたため,この地域の都市化が顕著になってきた.
多摩丘陵における都市化の先駆は,大工場・学園・精神病院・集団住宅などのように,広い敷地と安い地価,静かな環境などを必要とする,いわゆる周辺的都市施設の進出である.ここでは周辺的都市施設のうち,特にゴルフ場・大学・病院などについて,その分布や進出の状況を概観しよう(参36).(図8.4.23 南多摩におけるゴルフ場・大学・精神病院の分布)
まず,ゴルフ場についてみると,東京都のゴルフ場21(1972年現在)の内訳は,区部4,北多摩4,南多摩9,西多摩3,島部1となって,南多摩が最も多い.進出時期は昭和30年代に集中しており,昭和40年代以降は少ない.30年代の南多摩は住宅化以前か,または都市化の初期であり,安価な土地が大量に存していたためである.それ以後少ないのは,人口増加に伴い地価が高騰した結果,比較的安価な土地を求めて,さらに遠方へ分散していったためであろう.
ゴルフ場の位置をみると,ほとんどが市域の境界付近に立地している.境界付近は市街地から最も離れ,地形的にも最高地であり,したがってまた交通不便な場所であることが多い.そのために地価は最も安く,ゴルフ場立地の場所として適している.9つのゴルフ場はいずれも70〜100haの広大な土地を有している.
次に大学についてみると,南多摩における最初の大学は玉川大学で,町田市に1929年建設された.当時は玉川学園と称し大学となったのは1947年である.付近には学園を中心とする学園町が形成されている.1946年には桜美林学園が開校した,両校とも建設者が自らの理想を実現するために,当時全く田園の地であった南多摩の丘陵地に建設したものである.
その後大学の進出が途絶え,空白期間が続いたが,1963年に工学院大学の進出があり,それを契機に続々と設置され,計画中を含めて約20大学の進出がみられるようになった.
これらの大学の中には,中央大学のように,23区にあった大学が移転してきたものと,創価大学のように全く新規に設置されたものとがあるが,いずれも23区や北多摩では用地取得が困難のため,南多摩へ進出してきたと思われ,初期の玉川学園や桜美林学園とは進出の事情を異にするようである.
大学の大部分は,ゴルフ場と同じく,既成市街地から相当離れた所に立地している.ただ比較的早くできた玉川大学や工学院大学及び住宅用地が隣接する国士館大学は,市街地かまたは市街地に近接した場所にある.これらの中には,東京都心から長時間を要するものがある.例えば東京造形大は1時間30分,多摩美大は2時間以上を要し,そのため学生は寮に住むか,八王子や橋本に下宿しているものが多い.また杏林大学のように全寮制のところもある.このため南多摩の大学は,23区に近い大学に比べると,通学流動の面で異なった性格をもつであろう.
第3に精神病院についてみよう.精神病院は広い敷地と静かな環境を必要とするため,23区や都市化の相当進んだ北多摩を避けて南多摩に多数進出している.南多摩で最も早く設立された精神病院は桜ケ丘保養院(多摩市,746ベッド,1940年)である.これを含め1954年までに設立された初期の4病院はいずれも300ベッド以上の大病院であった.以後空白期間をはさんで1960年から再び設立がみられ,特に1962〜1967年には12病院が進出している.このころになると規模も小さくなり,100〜300ベッド程度となる.精神病院の分布をみると,初期の大病院,例えば桜ケ丘・永野八王子・多摩などは既成市街地内かあるいはそれに近接しているが,1955年以降建設のものは,新しい病院ほど市街地から遠く離れて立地している.
周辺的都市施設の指標としての病院には,精神病院のほかに,結核病院や伝染病院も考えられるかもしれない.しかし,ともに医学の発達により,患者が少なくなり,病院も少数であるのに対し,精神病患者は増加しており,指標として適しているといえよう.
以上みたように南多摩においては,ゴルフ場・大学・精神病院などの進出が盛んであるが,その進出時期はそれぞれに異なるようである.以上の3つに主要住宅団地を加えてみると,周辺的都市施設のなかでは,ゴルフ場と精神病院が比較的早く,大学・住宅団地が遅れて進出するようになる.ゴルフ場は特に安価で広大な土地を必要とし,精神病院は極めて静かな環境を必要とするためであろう.