1.3 新河川法制定以降の河川敷
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1.3.2 多摩川河川敷地開放計画およびその実施

 先にみたように,「河川敷地占用許可準則」の第9において,公園・緑地等が不足している都市またはその周辺に存在する河川の河川敷については,特例として,公園,緑地・広場さらに一般の人々のための運動場などの占用に限って許可されるものとしている.

 多摩川の河川敷は,最も高密度に利用され,都市河川敷地の計画策定の発端となったところであり,第一次開放以前は,ゴルフ場が全河川敷地の30%も占めていた.また京浜地域は,著しい市街地化の進展によって,いわゆるオープンスペースが漸減しつつあった.したがって,公園・緑地,運動場などに対する地域住民の要望も大きくなってきていた.このような背景の中に,1965年7月に「多摩川河川敷地の開放計画(第一次)」が公表された.以下はその全文である.

多摩川河川敷地の開放計画(第一次)

 東京都およびその周辺の都市における公園,緑地等の不足が著しい現状にかんがみ,多摩川河川敷地等を一般公衆の利用に供するための第一次の開放計画を次のように定める. なお,第2次の開放計画については,第一次の開放計画実施後の状況を勘案して定めるものとする.

1.実施期間

 開放計画の実施期間は,昭和41年度を初年度とし,3カ年を目途とする.

2.対象区間

 開放計画の対象区間は,多摩川の日野橋から河口に至るまでの約40kmとする.

3.開放の方針

 イ.既占用敷地のうち橋りょうの付近等一般公衆の利用しやすい場所を占用している個所,特定の個人のみの利用に供されている個所等については,全面開放の措置を講ずるものとする.

 口.学校の運動場等については,特定の日時を指定して一般公衆に自由使用させる措置(以下「準開放」という.)を講ずるものとする.

 ハ.都市河川整備事業の実施により所要の河川敷地の造成を行なうものとする.

 二.すでに公園,緑地等として占用されている個所について,その整備を促進する.

 ホ.イ及びハの措置を講じた河川敷地については,引き続き公園,緑地整備事業を実施するものとする.なお開放計画の実施に伴い今後公園,緑地および広場並びに一般公衆の利用に供する.運動場以外には,新たに占用を許可しないものとする.

4.開放面積

 イ.既占用敷地(約310ha)のうち新たに開放するもの……約150ha

                 全面開放…………………約100ha

                 準開放……………………約50ha

 ロ.都市河川整備事業により新たに造成するもの……………約40ha

 ハ.既占用敷地のうち開放済のもの……………………………約55ha

  以上により,公園,緑地等として一般公衆の利用に供しうる面積は,合計約245haとなる.

5.計画の実施

 開放計画は,関東地方建設局長が,公園,緑地等の整備計画を勘案して,その実施にあたるものとする.

 以上が開放計画の内容であるが,開放計画決定に至るまでの間,具体的に検討されたことは次のようなものであった.

 (イ) まず,実施期間は,予告期間としての意味を含め,かつ,緑地整備事業が後を追いかけて行く予算確保の可能性を勘案して3カ年と定めた.

 (ロ) 開放に伴う補償問題については,法務省等の見解も正したところ,社会通念上相当の期間を経過しておれば,補償の必要はないとの確信をもった.もちろん,この場合経営が黒字であったが,赤字であったかは,問うところではない.

 なお,瀬戸山建設大臣は,記者団に答えて,「占用の期間が相当ながく,十分に その目的を果たされたものばかりだから,現段階では1銭の補償の必要もないと思う.」と表明されている.

(ハ) 開放する個所の基本原則を開放計画の3のイのように定めた.このなかで,占用状態が著しく不良というのには,現実的には,予算の乏しい公共団体の占用が最も多いという皮肉な実態であったが,今後,公園関係の努力にまつこととなり,3のニが加えられたものである.

(ニ) 学校,会社等の運動場は,間接的には国民の体位向上に寄与しており,また,営利そのものを目的にしているものでもないので,3のイに該当するもの,及び相当広大な面積を占用しているものはその一部を全面開放させることとし,残りについては,特定の日時を指定して一般に使用させる,いわゆる準開放の措置を講ずることとした.

 準開放は,いろいろ検討を続けている段階で生れてきた知恵であって,既占用者と一般公衆の間の調和を図った苦心の策であった.具体的には,既占用の態様によって異なり,たとえば,学校の運動場は日曜が空いており,会社にあってはウイークデイを1日位開放しても支障はない等いろいるあるので,個別に,1カ月に15日とか30日とか,1週間のうち何曜日とか,占用許可の際協議して定め,許可条件に 含めるとともに,占用個所には,開放日時,管理者(使用申込先)等を明示させ,一般の申込みがあったときには優先的に使用させなければならないとした.なお,この場合に,施設の維持管理に必要な最小限の使用料等を徴収することは差し支えないとした.

 準開放は,開放計画の公表とともに即時実施に移した.実施当初はP.R.の不足等もあって,必ずしも活発には行なわれていなかったが,現在は,一般にも浸透し,非常によく利用されるようになってきている.この準開放の考え方は,あえて開放計画河川だけでなく,地方の都市河川に適用しても,きわめて有意義ではないかと思われる.

(ホ) 占用面積が最も大きく,国会においても一番の槍玉にあがっていたゴルフ場についてはこれを全部開放させるとすると,緑地整備事業が追いついていけないこと,相当多額の投資をしていて,一挙に処理するには摩擦が大きすぎること等を考慮して,9ホールに半減させることを目標とした.この結果,9ホールの多摩川ゴルフ練習場は対象外となり,東急玉川ゴルフ倶楽部,新川崎ゴルフ倶楽部,大田区営ゴルフ場(六郷ゴルフ倶楽部)3個所が該当することとなった.(図9.4.2 多摩川第一次開放計画

 既設備投資が多額であるから,開放期限は最終年度とすることとし,ただ,占用目的違反の東急玉川ゴルフ倶楽部の一部及び公共団体営として開放計画に協力してもらう趣旨から,六郷ゴルフ倶楽部の一部については,初年度に開放を予定した.

 なお,打ち放しの練習場については,利用の密度が高いこと,ゴルフが相当普及してきて,必ずしも特定少数者のものではなくなってきていること等を勘案して開放対象外とした.

(ヘ) 自動車練習場は,コースを舗装し,また必ず山を設けなければならず,治水上からも好ましくないので,全面開放を求めることとし,期限は,ゴルフ場同様相当の設備投資を行なっているので,移転準備等の期間を見込み,最終年度とした.

(ト) 農耕地については,終戦後の食糧増産時代から占用されてきたが,すでにその存在価値はほとんどないと思われるので,全部開放することとし,その期限は,周辺の緑地整備の状況を勘案し,開放期間3カ年にわたって,逐次開放することとした.

(チ) 以上のほか,多摩川においては,特殊な占用が4件あったが,これらに対しての考え方は,次のようなものであった.

 その1 関東レース倶楽部馬場

 川崎競馬開催の際の調教場で,これを廃止すると,川崎競馬の開催が不可能になるというので,やむを得ず,馬場中央の空地を準開放させることとし,中央空地を緑地化させ,開放日には,コースは一切使用させず,これを横切って覆蓋した通路をつくり,出入自由とし,中央緑地をピクニック等で遊べるようにした.多摩川には,このような牧歌的な地域を存置しておいてもいいのではないかという意見もあり,現在は,読売ランドに競馬場として109,231m2の占用の許可をしている.

その2 読売飛行場

 東京都内においては,数少ない小型機の離着陸場として貴重なものであったが,周囲の公園,緑地化が進めば,一般大衆の来遊はいよいよ多くなり,危険が増大するので全面開放(世田谷区鎌田町98,977m2)することとしたが,その後,読売新聞社側の強い要請もあり,報道の公共性にかんがみ,その一部(16,265m2)を47年3月31日までヘリポートとして占用の許可をしたが,1973年7月18日以降は世田谷区の運動場として占用の許可をしている.

その3及び4 巨人及び東映(現在は日本ハム)グランド

 占用準則には合致していないが,有名選手の練習をみることは,子供達の大きな楽しみであり,後楽園や神宮球場にもいけないような人々のことを考えると,特定の個人のみの利用に供されているとはいい切れないので,存置させることとした.現在も,運動場として,読売興業鰍ノ対して33,408m2(大田区田園調布)を,日本ハム球団に対して36,446m2(川崎市中原区上丸子)の占用の許可をしている.

(関東地方建設局河川部水政課(1981):『第一次・第二次河川敷開放計画及び実施計画調書』による)

 この多摩川第一次開放計画の対象区間は,河口から日野橋に至る約40kmの区間で,計画ではその高水敷面積(約337ha)に対して,公園・緑地,運動場などとして,一般の人々が利用できる面積は約73%(245ha/337ha)となった.開放以前にはそれがわずか18%(55ha/310ha)にすぎなかった.

 表9.4.1には第一次開放計画を,表9.4.2には第一次開放計画の実施結果を示し,さらに表9.4.3にはその実施種別ごとに個々の内訳を示した.また図9.4.3には開放の実施位置を示した.多摩川の第一次開放計画は,1966年度(昭和41年度)から3カ年計画で実施に移された.この間,ゴルフ場の仮処分申請や自動車練習場の代替地問題等があり,一部は計画より2カ年の遅れがみられた.しかし,1971年11月までには,開放はほぼ当初の計画どおり終了した(表9.4.4).この第一次開放の結果をみると,私企業の占用していた運動場は,その面積の約2分の1が全面的に開放され,公園・緑地などに利用されたり,一部は運動場として一般の人々が全面的に利用できるようになった.また残りの2分の1も,特定の日を定めて一般の人々が利用できる運動場(準開放)となった.また,公立・私立の学校が占用していた運動場も,すべて準開放となった.

 多摩川河川敷内のゴルフ場は,第二次世界大戦前に開設されていたが,戦時中はほとんどが農耕地となり,再び1952年に大田区田園調布地先に立地した多摩川ゴルフ倶楽部を嚆矢(こうし)として,新川崎ゴルフ倶楽部(川崎市小向地先,1954年),多摩川ゴルフ倶楽部(現多摩川ゴルフ練習場)(川崎市上丸子地先,1956年),玉川ゴルフコース倶楽部(川崎市宮内下野毛,1957年),東京急行電鉄株式会社の丸子橋ゴルフ練習場(川崎市丸子,1960年)と次々と開設され,その全面積は約118.5haもあった.これは1961年当時の全高水敷利用面積の実に31.5%にものぼっていた.しかし,第一次開放計画が実施され,ゴルフ場の一部を全面開放し,規模を縮少したり,会員制からいわゆるパブリック化されたりした結果,ゴルフ場の占用面積は46.8haと,開放前の2分の1以下の面積に縮小された.自動車練習場もそのすべてが1968年に返還され,公園・公開緑地に転用され,一部は東京警視庁の交通教育センターとして新しい機能を果たしている.

 こうして第一次開放計画が終了した1971年の浅川流域を含めた多摩川水系全域の河川敷(高水敷)の利用状況を,表9.4.5に示した.1961年と第一次開放実施後の1971年を比較してみると,一般企業による運動場,ゴルフ場およびゴルフ練習場など,特定の人々しか利用できなかった施設の占用面積が,著しく減少したことが読み取れる.この反面,公共団体による運動場や公園・緑地は,1966年から1971年の間に,面積にして3.3倍もの増加を示した.このように,第一次開放計画が実施された結果,高水敷は,従来の限定された人々の利用から,公共的利用への転換がなされた.

 政府は第一次開放計画の完了後の時点で,改めて第二次開放計画を検討することとしていた.そして1974年3月には,第二開次放計画を実施していく方針が明らかにされたが,その主な内容は次のようなものであった.

多摩川における河川敷地の開放計画(第二次)

 東京都及びその周辺の都市における公園,緑地等が著しく不足している現状にかんがみ,多摩川,荒川,江戸川のいわゆる都市区間の河川敷地については,すでに,41年度を初年度とする第一次開放計画(3箇年計画)の実施により,一応の成果をあげたが.国民の生活水準の向上等に伴って,以前にもまして一般公衆が河川のもつ環境すなわち,水と緑の空間を積極的に利用したいとの機運が高まってきている.

 このような強い国民的要望に応えるため,多摩川について,次のとおり,49年度を初年度とする河川敷地開放4箇年計画を樹立し,公共の土地である国有河川敷地を国民の憩いの場として提供することとした.

 1. 実施期開

   開放計画の実施期間は,昭和49年度を初年度とし,4箇年を目途とする.

 2. 対象区間

   開放計画の対象区間は,第一次開放区間と同様,多摩川の日野橋から河口に至るまでの約40kmとする.

 3. 開放の方針

  イ.既占用敷地のうち,川崎パブリック,多摩川ゴルフ倶楽部及び東急ゴルフ場は,ゴルフ練習場として計画を変更するものを除き,全面開放の措置を講ずるものとする.

  ロ.既占用敷地のうち,私企業の運動場については,地方公共団体又はこれに準ずるもので,管理能力がある場合には,これに移管させるものとし,それ以外の場合及び学校等の運動場については,特定の日時を1週間のうち3日以上指定して一般公衆に使用させる措置(以下「準開放」という.)を講ずるものとする.

  ハ.直轄河川都市環境整備事業の実施により高水敷の造成を推進するものとする.

 図9.4.4にみるように,第一次計画が終了した段階で,河口から約40kmの日野橋までの区間は,全高水敷面積(約396ha)に対して既に占用されている面積(約366ha)は92%にも達していた.したがって,第二次開放計画では,特に一般企業の占用する運動場およびゴルフ場についての開放を重点に(表9.4.6)推進され,ほぼ計画とおり実施された(表9.4.7).この結果,河川環境管理財団を除いて,私企業の占有する運動場は,わずか1個所となり,運動場は準開放も含めて,すべて一般の人々の利用に供されるようになった(表9.4.8<その1>).また,広大な面積を占めていたゴルフ場も,1個所5.5ha以下にその規模が縮少され,今日ではそのすべてが練習場となっている.

 以上のような第二次開放計画が実施された後の1981年の高水敷利用の状況を先の表9.4.5に示した.この表9.4.5によって,第一次・第二次多摩川河川敷開放計画の実施以前と以後を比較すると,一般企業の運動場,ゴルフ場およびゴルフ練習場の著しい減少が特徴である.開放前にはゴルフ場およびゴルフ練習場は全高水敷利用面積の実に,31.5%を占めていたが,1981年にはそれがわずか4.1%に減少した.河川環境管理財団を含む一般企業の運動場の占用も著しく減少している.これに対して,地方公共団体によって管理される運動場と公園・緑地は,1961年には76.5haで,全高水敷利用面積の20.3%であったが,1981年には350.6ha,58.8%に増加した.なお,その他の項には,下水処理場をはじめ,建築材料置場,コンクリート製造用地,砂利選別・洗浄のための用地,採草地など種々含まれるが,件数が多いために膨大な面積を占めている.

 図9.4.5(折込み)はこれら高水敷の利用を空間的にみたものである.これによると河口から約20kmの東名多摩川橋までは,全面的に利用されており,これより上流では,多摩川原橋,是政橋,関戸橋周辺における利用が進んでいる.

 全国の一級河川(多摩川も含まれる)の河川敷占用をみると(表9.4.9),一般には採草地・牧草地および耕地に利用されている割合が極めて高く,多摩川の河川敷地の利用が非常に特異なものであることがわかる.



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1.3 新河川法制定以降の河川敷