第4章 21世紀へ向けて
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第4章 21世紀へ向けて

 20世紀は多摩川とその流域にとって激動の世紀であった.その具体的事実については,本書の各篇に詳細に述べられている.試みに今世紀初頭の明治中期と現在の多摩川とその流域を比較してみるがよい.しかもその著しい変貌は外見上のみではなく,雨水から河道流出に至る流出機構にも及んでいる.まことに,20世紀は多摩川にとって目まぐるしい世紀となった.

 もとより,変貌が著しいのは多摩川のみではない.日本の全国土が開発によって著しく変貌し,ほとんどすべての川にとって20世紀は激動の時代であったには違いない.しかし,多摩川の場合は,首都である東京を流れる川として,江戸時代以来,江戸・東京と運命をともにし,特に明治以降の百年間,日本の急速な発展と歩調を合わせるように発展した東京とともに,際立った変貌を遂げたといえる.しかも,あらゆる近代化が東京を始点としたように,多摩川とその流域の変貌は,とりわけ先駆的であったと考えられる.

 この激動の20世紀を経て,これからの多摩川,21世紀の多摩川はどうなるのであろうか.あるいはどうあらねばならないのか.それは20世紀における多摩川の軌跡を冷静に把握する姿勢から考察すべきであろう.

 すでに述べたように,20世紀の多摩川は首都である東京との関係で視なければならない.小河内ダムに象徴されるように,多摩川は東京都の水源として重要な役割をになっている.多摩川流域は,関東大震災以後,東京のサラリーマンの居住地として確固たる地位を築き,第二次大戦後の高度成長期以降は,東京の人口急増を受け入れる場として貴重な存在となり,多摩ニュータウンに象徴される大規模住宅団地を形成した.したがって,多摩川流域を含む東京の人口急増は,多摩川の治水利水条件を著しく変えることとなった.すなわち,人口急増は水需要の激増を招き,大規模宅地開発を伴う土地利用の変化は,降雨の流出機構を変化させ,特に支流乞田川流域における多摩ニュータウン建設に見るように,洪水流出の増加に備える大規模改修が行われるに至っている.水需要の増加は必然的に下水の増加を招き,多摩川べりに下水処理場が次々と建設され,多摩川の平常流量の過半が下水処理水によって占められようとしている.

 すでに江戸時代において,玉川上水が江戸発展の基礎として重要であったように,多摩川と江戸の関係は密接であり,さらに明治以降,特に第二次大戦後,治水,利水をめぐって多摩川とその流域は,もっぱら営業空間として利用され,東京に占める重要度は加速度的に増してきたが,環境の場としては軽視され,その質は低下したといえよう.つまり,つねに一方的に江戸・東京に奉仕してきた受身的な姿勢たらざるを得なかった20世紀の多摩川は,日本のいわば象徴としての東京の急速な発展を支えた試練の世紀でもあった.そのため,水質は悪化し,下流部の平常流量は減り,多摩川は深く病める一時期を経験したといえる.

 1981年から始められた支流野川の全国に先駆けた礫間浄化施設は,水質の自己復元を目ざす胎動として評価したい.これを走りとして,逐次中下流の水質をより良くすることを切に期待したい.1966年から始められ,1974年以降本格化した高水敷の開放も,全国に先駆けた試みであったが,それは全国河川の都市域に普及し,沿川住民と川との新しい関係を生み出しつつあるといえよう.

 元来,沿川住民と川とは古くから共存共栄といえる状況を形成してきたと考えられよう.従来は,人間の側が川の性格をよく理解しようとつとめ,川の特性に適合するように住居を考え,川の水を利用してきたといえる.洪水流を完全に河道に閉じ込めて流すことのできなかった19世紀までは,低平地などではほとんど毎年のように襲ってくる常習的氾濫に対抗するために,水屋や水塚を設け,舟を常備するなどして,川との共存をはかってきた.川から農業用として取水した水路の水も,農業だけではなく,家事用水を含む多目的に利用し,農業用水路のある田園風景は,まさに生活と生産に密着した独特のうるおいと親しみに満ちたたずまいであった.このような自然の水循環に則った水利用は,人々の眼に自然そのものと見まごうばかりの光景を呈出する.水田風景そのものがまさにそれであり,加えて農村集落に融け込むかのように流れるかんがい水路もまた,人間と水との見事な調和を裏書きしていると考えられる.それは水路を環境の中に抱き込んでいたからである.

 20世紀における技術の飛躍的進歩,社会経済の拡大は,川と人間との関係に決定的ともいえるほどの変革をもたらした.多摩川と東京の第二次大戦後の関係は,特に際立った例といえる.すなわち,第二次大戦後のこの40年間は,多摩川と東京は共存共栄というよりはむしろ,東京が都市化という社会的背景のもと技術の進歩を十二分に駆使して多摩川を一方的に利用した時期として位置づけられよう.多摩ニュータウン,小河内ダムに象徴されるように,東京における急激な人口増加,水利用の急増に多摩川とその流域はよく対応し,その様相を急変させてきたのである.しかし,それは多摩川の河相にとって,東京都民と多摩川との真の友好関係とはいえなかったのではあるまいか,

 前述の高水敷における礫間浄化や高水敷開放は,高度成長期に軽視されていた都民と多摩川とのより良き関係の復元への第一歩として理解し評価すべきであろう.省みれば,高度成長期まではともすれば多摩川を水資源を供給する場,もしくは洪水流を海まで運ぶ樋としか見なかったとさえいえる.しかし,漸くにして近年,都民も行政も川との関係の本来の姿に立ち直ろうとする機運が生じ,川との共存を探り始めたのである.

 1983年の多摩川八景の撰定もまた,川と都民との友好関係を取り戻そうとする試みとして評価したい.それも民間とかマスコミの主催ではなく,河川管理者である建設省が主催し,流域市町村,自然保護団体の協力を求めた点にこそ,新鮮さと時代の推移をひしひしと感ずる.それは都民の多摩川への愛情と理解を深めようとする意志の現われであり,それがまた多摩川の治水や利水への一般の理解に連なることの認識をも意味すると思われる.つまり,従来は無かったこれら事業もまた河川管理事業の一環として理解されてきたのであり,川と人間とのあるべき姿を求めることが,河川管理の最終目標といえるからである.

 東京と運命をともにしてきた多摩川は,今後ともその関係から離れることはできないであろう.したがって,川と人間とのあるべき姿とは,この場合,多摩川と東京圏との今後のあるべき関係の確立にかかってくる.第二次大戦後,あまりに性急に多摩川とその流域に水資源や土地資源を求めてきた東京は,残された20世紀から21世紀にかけては,資源としての多摩川から,環境としての多摩川へと,その付き合い方を充実させて行くべきであろう.

 資源といい環境といい,それはいわば相対的概念であるといえよう.水や土地が豊富に存在し,元来の自然性を保持している場合には,それは環境と呼ぶにふさわしい.しかし,環境の質が低下し,“利用”が急増して不足して来れば,それは資源と呼ばれるようになる.環境との付き合いは多角的複合的総合的であり,資源との付き合いは単目的かつ経済合理性に強く支配されるようになる.

 元来,われわれは川という環境と付き合っていた.しかし,技術の進歩,経済の発展は,環境としての川よりも資源としての川を相手にする方が,はるかに効率的もしくは経済的な状況を生み出したのである.特に経済成長が至上命令とされた時代には東京という集積効果の著しい大都市を相手とする場合,川も土地も資源の場として動員されざるを得なかった.しかし,安定成長時代を迎えた今日,漸くにして東京は環境としての多摩川に着目せざるを得なくなったと考えられる.われわれは元来,環境としての川と付き合っていたとはいうものの,今日の状況は決して昔の関係に戻ることを意味するのではない.いわば,より次元の高い観点において,多摩川を資源としても捉えるとともに,徐々に環境としての多摩川を尊重しなければならないのである.

 最近10数年における,多摩川における前述の新しい動きは,多摩川を環境として見直そうとする兆候と位置づけることができよう.したがって,水質や景観向上を目ざすこれらの新しい試みを,単発的流行とせず,また試行に終らせず,その芽を育て本格的なものへと発展させるように努力すべきであろう.河川環境を監視する,守る,その質を高めるには,行政の努力だけで達成できるものではない.流域住民の全面的かつ建設的協力と理解なくして,その成果を期待することはできない.資源開発と環境保全とでは,住民のかかわり方が著しく異なるゆえんである.

 かつて,環境としての川と付き合っていた時代には,技術の未発達のゆえに洪水に対する脅威は大きく,かつ日常的でさえあったが,人々は水の流れを見て暮らす風情があり,川や水に貫かれた人間の文化があったのである.江戸も東京も多摩川や隅田川と同居していたのである.これからは,川の安全性を高めつつも,あらためて川と同居する付き合いでなければならないであろう.具体的には堤防や護岸にも,高い安全性とともに,多摩川流域の人々に親しまれるような景観をも要求されるであろう.惹いては首都の川であるからには,新しい日本の川にふさわしいたたずまいでなければなるまい.隅田川などとともに多摩川は,来るべき世紀において,首都の顔として国際的評価に堪える河相を誇るものとなるべきであろう.そのためには,多摩川流域の人々はもちろん,ここへ来る人,この川をめでる人々にそれを育てて責任と作法が要求されるに違いない.先進国の大都市が世界的にも衰退の兆を見せている20世紀末の現在,それを救えるのは川と水の環境となる可能性は大きい.われわれが多摩川に寄せる期待は限りなくふくらむのである.



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